2009年12月28日月曜日

ボッサ・ノーヴァ

前のブログで書いた映画「黒いオルフェ」のブラジルのギタリスト、ルイス・ボンファによった書かれた音楽はかなり、というより20世紀の歴史に残るくらい有名なようで、そのジャンルは「ボッサ・ノーヴァ」といわれている。はずかしながら今の今まで知らないことだった。

曲の雰囲気や、その「心」について語る人は多いようだが、クラシック音楽の教育を受けその世界に育ち、根をおろしてしまっている自分にとってはやはり技術的なことばかり気になる。アメリカジャズとの関連性もいろいろあるようだが、特徴的なのはその和声進行だ。個人的な印象で、無知を承知で大まかに語ってしまうと、ジャズ音楽の世界ではなんとなく個々のハーモニーが林立しているだけで、音楽は実は常に停滞している印象があるが、ボッサ・ノーヴァの音楽では和声は本当に「進行」している。

わが伝統のクラシック音楽史では、理論による和声学は20世紀の初めウィーンの大先生によって「終焉」を宣言されており、これ以上の進化は求められないといわれてしまっていた。自分自身ウィーンでクラウス・ガンター教授やヘルヴィッヒ・クナウス教授といった偉い先生の方々に師事させていただいたが、そこでも和声学は19世紀末までの音楽を中心に説明され、その「宣言」以降の和声の発達は語られないままであった。どうも音楽史の流れは20世紀以降混乱しきっていて未だアカデミックに整理されていない気がする。それほど某大先生の影響力はすざましいものであった。

それでもバルトーク、ショスタコーヴィッチやメシアンのような天才を始めとする作曲家は、無調音楽全盛の時期に独自の和声進行を発展させていったが、それを理論化するにはタブー視されているのか、作曲科や音楽理論科出身ではない自分は深入りしなかったこともあるが、少なくともウィーンではあまり語られなかった。

3度を2回上に重ねた「三和音」は神聖なものであり、その上にもう一つ3度音を重ねた長短7度の和音をはじめ、すべての四和音はいずれも三和音に即帰する和音である。先のウィーンの「大先生」の音調作品によく出てくる9度の和音以降はオルガンバス上の進行の中で起こる偶然性、または「ビ・トナール(複調)」の理論、それ以上はただ一言「クラスター」という程度で片付けられている。

ボッサ・ノーヴァでは7度の和音は全く違う働きをし、9度や11度にままならず、13度の和声までひんぱんに登場していて、それも盛んに長短の和声を巧みに使いすばらしく機能しているではないか。三和音も忘れたころに出てくるが、その即興性の豊かさには和声進行の限界は感じられない。実際、「黒いオルフェ」の音楽の一つ、「カーニバルの朝の歌」などは様々な現代にいたるアーティストによって演奏されており、聴くところみな独自の自由な、色彩豊かな和声進行を創作している。

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