2010年1月29日金曜日

看護師のストライキ

26日から3日間の間、ポルトガル全国規模の「看護師ストライキ」が実行された。国家公務員である彼らは、給料や夜間従業時の手当の見直しなど要求しており、今回のストライキは前代未聞の大規模なものだという。テレビでもリスボンでのデモの様子が伝えられていてかなりの人数が全国から参加していたようだ。

サンタクルス病院の息子は生後11日で大手術を受け、この時期ちょうど集中治療室にいた。ICU室内はさすがにストライキとは無縁で、赤ん坊患者のそばに誰もいないなどという状況は免れたが、看護婦さんは全員「私はストライキ中です」という、このストライキのために作られたシールを胸に貼って仕事していた。「あまり仕事しませんので、ごめんなさい」というメッセージなのかわからないが、こちら患者側にとって、彼らは緊急事態が発生した飛行機の中のステュワーデスのような不可欠な存在で、別にそこまで強調されなくて良かった。ストライキ突入の夜0時に何か打ち合わせのため集中治療室の一角に10数人輪になって集まっていたのが、実に印象的な風景だった。

息子の手術は朝9時に始まり午後の3時半までかかった。成功率が高い手術とはいえ、その万が一の可能性が脳裏から離れない。待機室に座っているだけでは文字通り地獄を見るようだったので、外に出て夫婦でトルコやアメリカでの思い出話をしたりしてリラックスするようにしていた。幸い天気がいい日で外にいると悪い予感はしなかった。

手術後対面した息子は血の気が全く引いていて、どんな映画にも見たことないような哀れな新生児の姿だった。将来への希望とか、待望の赤ちゃんといったすがすがしいイメージとは程遠い一人の小さな患者の姿であり、無数の体温計、血圧測定器、心拍計などといったカラフルなコードをつけられ、さらに7種類もの薬品のチューブにつながれていた。全身麻酔後の体は呼吸せず、機械が一定間隔で空気を吹き込んでいた。自分にはモニターに記されたデータが唯一の生命を確認できるインフォメーションだった。

看護師さんたちはその後24時間体制でモニターをチェックしながら、息子のさまざまなデータを2時間おきにメモしていた。術後の状態が良かったので、時間がたつにつれ薬品の量数は減り、呼吸器も徐々に外していったので息子も少しずつ動き始め、2日もすると目も開けるようになった。

息子はどうやら現代医学の誇る知識と経験豊富な執刀技術に命を救われたようだ。助産院での自然出産や自宅での水中出産など実践していたら今頃どうなっていたかを考えると恐ろしい。病院のしっかりしたシステムや有能なスタッフにはどのように感謝の気持ちを伝えられるかわからない。執刀医のドットール・ミゲル・アベカシッス氏はすでに我が家の英雄だ。

ストライキ中にも身を削ってお世話していただいた看護婦さんスタッフにも感謝と尊敬の意を表したい。

2010年1月21日木曜日

TGA

子供の病気の名は、完全大血管転位症(TGA、Transposition of Great Arteries)というもので、二万五千人に1人という割合で起こる先天性の奇形。手術は難易度の高いもので、肺動脈と大動脈を付け替えるという、想像を絶するもの。いろいろ先生方やとくに看護師さんから説明を受けていたが、インターネットに図解で一目瞭然のわかりやすい説明があった。心臓のことなんてどんな作りだったかよく思い出せないものだったから説明されても全くピンとこなかった。

手術はジャテネ手術を呼ばれているもので、歴史的には1980年代に一般的に行われるようになったものという。現在の成功率は90パーセント以上、再手術や合併症の可能性も10パーセント以下、数年過ぎるとさらに5パーセント以下という。緊急処置として、心臓の左右の壁に穴をあけ、血弁がふさがらなくする薬の点滴をしている。

親としては手術の成功を祈り、いまからでも子供の心のケアをするのみである。寝ていて急に暴れたりすると今から心配になる。話に聞くと、かなり精神的衝撃を受けた親もいるようで、当然ヨメのケアのことも考えないといけない。

これから試練が待っているだろうが、それを糧にして強くなっていくのみである。

2010年1月17日日曜日

聖マリア大学総合病院と聖クルス病院

後期の妊娠中毒症になったヨメの緊急入院から始まって、帝王切開によって無事生まれた息子が予期せぬ先天性心臓疾患を持っていることがわかったので、ここ4日ほど病院に何度となく足を運ぶことになっている。なんとも長い週末になってしまったが、この病院、サンタマリア大学総合病院と、息子が転送されたサンタクルス病院のシステムの素晴らしさには本当に感銘を受けた。医師団のすばやい的確な判断により2人の命が救われたといっても過言でない。

ヨメは何とか回復しそうだが、息子のほうはまだ心臓を開ける大手術が待っているので気が気でならない。しかし、心臓科の専門であるサンタクルス病院の設備の良さ、医師団の的確な説明ぶり、スタッフの献身的な仕事ぶりを見ていると成功しないわけがない、と心から信じていられる。

この国の医療関係システムは全くなっていない、といままで決め込んでいたのが本当に申し訳ない。あの巨大なサンタマリア大学総合病院が多数の看護師、医師によって信じられないくらい円滑に動かされている。スタッフ間の情報伝達も確実で、24時間体制で誰に接してもこちらの状況を常に把握している。

このような病院にお世話になっている自分たちは本当に幸運だと思う。

2010年1月11日月曜日

2010年

今年に入ってから予定表はいまだに真っ白だ。去年、2009年は年始早々コンサートが入って忙しく、そのあとすぐにイスタンブールやコルーニャに行ったりしていて、夏はあの巨大なイヴェント、フェスタ・ド・アヴァンテを控えていたこともありずっといろいろ忙しかった。今年はいったいどうしたことだろうか。こういうときは演奏会の内容が良くなかったのだろうか、などといろいろ心配させられる。

今年こそは、耳の肥え切った聴衆の前でコンサートするような機会に恵まれたいものだ。音楽家はやはり、聴衆に育てられるものではないだろうか。いい音楽を本当に必要としている人たち、そういう人たちにいい演奏を期待されるようになりたい。願わくば実現させたい夢だ。