去る9月4日の、毎年数十万人の観衆を集める第33回フェスタ・ド・アヴァンテでは、史上初めて「日本人アーティスト」が舞台に立ったはず。舞台上では、90人のオーケストラにも、70名の合唱団にも30人のスタッフの中でも唯一の日本人。野外の2,3万の観衆の中に、どれだけ日本人がいたのかわからないが、この同国共産党主催の「フェスタ・ド・アヴァンテ」の性格上、日本人特別対象のコンサートではない。指揮者は日本人である理由はないのだし、演目に「さくら」「隅田川」が入ることもない。当然のこと、日本国大使が興味を持って来られることもなかった。今現在が16世紀だったら話は別だろうが、今回のコンサートの当事者の使命は、クラシック、オペラ音楽を幅広い聴衆層に提供するという基本的なことで、スタッフ間に間違いなく成功させなければならないというすごい緊張感があった。そのコンサートを指揮していた自分には「日本人である」という意識は全く、どこかに吹っ飛んでいた。そういう雑念に惑わされずに仕事できたことは、当然のことながら、正直うれしい。
長年フェスタ・ド・アヴァンテの主催者であり、ジャーナリストで政治家であられるルーベン・デ・カルヴァーリョ氏が先日、ポルトガルの週刊高級紙「エスプレッソ」に当コンサートについての記事を書いた。メディア、各新聞社がこのコンサートのことに全く触れていないのは極めて遺憾であるとし、この大規模な「ポルトガル人」の企画による演奏会にもっと目を向けるべき、とあった。そこには僕の名が「日本人指揮者」として紹介されてあった。カルヴァーリョ氏からはとてもいい言葉を頂いていて、新聞上にわざわざ名を出していただいたことには、非常に感謝している。
今までの自身の経歴で「日本人初」をあげたらきりがない。リスボン、サオ・カルロス劇場の専属の仕事は疑いなく日本人初、ドイツのプファルツ劇場での指揮、そのいくつかの引っ越し公演の指揮は、日本人で初めてだったかもしれない。さかのぼれば、そもそもウイーン音楽大学の修士学位は何人の日本人が取得しているのだろうか。あれだけの数の日本人留学生がいるウイーンの指揮科も、ゲスト研修生がほとんどなので、正規の学生は自身の5年在籍に重なった2人、過去にも数えるくらいしかいなかったはずだ。南米の指揮コンクールには入賞者はおろか、参加者の中にも日系人を除く日本人は今までいなかった。
世界には「日本人」として貴重な貢献をされている人たちもいることは忘れてはいけないと思う。だが、誰もが自分の意志で、どこででも生活できるようになったこの世の中、もう外国での「日本人枠」を取ってしまってもいいのではないだろうか。この「日本人枠」に限れば、外国で日本人がいないところで仕事すればあっという間に「日本初」がいっぱいでてくる。自分にとっては「日本枠」が存在しなくなり、内容そのものにもっと目を向けてもらう日がいつか来たら、と切望してやまない。
2 件のコメント:
お元気ですか? 遠くザルツブルクの山の中からです(笑)。
確かに日本人~~人目と書かれても、毎日がそのような連続なので、別に気になりませんよね。
ザルツブルクのある団体でも主宰者が韓国人なのに、名前は「ザルツブルク」なので、一時国外での演奏旅行で問題になりました。
長年住んでいて、やっていることはザルツブルクなのに、見た目だけで評価されないのも残念ですね。
私も友人とブログを書いているので、是非ザルツブルクの様子も見に来てくださいね!
ザルツブログです。
お久しぶり!お元気ですか。
コメントどうもありがとうございました。コンサートはDVD化されることになっていて、本当に売れるのか楽しみです。
ブログのほう何度か拝見させてもらいました。夏前、劇場にバストロンボーンのエキストラがいなくて探していたので、勝手ながらそちらの連絡先渡しておきました。結局なんとか解決したようですが、またそのようなときがあったら推薦しておきます。それでは。
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