オーストリアの音楽と言えば、自分にとってはブルックナーの音楽である。Halb ein Gott, halb ein Trottlとはマーラーがブルックナーについて語った言葉だが、30をすぎてから本格的に対位法を学び始め、40代からようやく大きな曲を書き始めた。職にも就いていて生活にも困っていなかった人にいったい、どういう動機があったのだろうか?
2011年7月29日金曜日
ブルックナー
子供のときどうしても欲しかった、ヨッフム指揮ドレスデン管弦楽団のブルックナーの交響曲全集。当時はいくら探してもなかなかなくて、家には8番だけ持っていて大切に何度も聴いていた。今は廉価版で全集が30ユーロであったので懐かしい思いで早速買った。今聴くと、旧東ドイツのオーケストラは、すばらしいあの有名な金管はいいのだが、いかにもつまらなそうに雑な演奏する弦楽、特にヴァイオリンは気分が悪くなるくらいで10分もするともう聴きたくなくなる。
2011年7月27日水曜日
長いシーズン
長いシーズンがやっと終わった。今年は特に収穫もない、疲れる1年だったと感じる。来年度からは、思い切って環境を変えていかないといけないかもしれない。9月には2年ぶりの「フェスタ ド アヴァンテ」があるが、それも終われば4、5年かかわってきたジナジオオペラでの役割も終わりにしたいと思う。
オペラ劇場での仕事は年々つらくなってきた。ウィーン時代の2002年にはいろいろなことがあり環境ががらりと変わったが、ぜひもう一度そうなってほしいものだ。
2011年7月19日火曜日
中耳炎の手術
TGAという先天性の心臓疾患を持って生まれた息子は生後11日で根治手術を受け、それからは心臓に関しては心配することなく、順調な成長を遂げはや1歳6ヶ月になる。
保育園にも8ヶ月から通っていて同年代の仲間や、おもちゃでの遊びなど親が見ていないところでもいろいろなことを学んでいるようだが、同時にこの時期にかかるべき病気にはすべて感染してきている。体に赤い斑点ができたり、舌に異常なできものができたり、熱が出たりという感じだが、いつまでたっても治らないものがある。
中耳炎と夜中の睡眠中に襲う咳の発作だ。咳の方は毎日夜の12時あたりに決まったように始まり、まるで悪魔に襲われるかのようにひどい咳が急に始まり、収まるまで5ー10分ほどかかる。いろいろなこと、その度に起こしたり、水を飲ませたり、シロップもあげてみたりしたが効果がなく真夜中には「悪魔の時間」がやってくる。
中耳炎の方は何度も繰り返しかかり、できれば避けてほしかったのだが先日の耳鼻科の診断で9月頃の予定で手術することになってしまった。耳鼻科の医者はもう一人、違う小児クリニックの先生にも3、4度見てもらったがそこでも手術はした方がいい、と言われた。
手術というが、耳の鼓膜に穴をあけチューブを差し入れ耳の中の液を出しやすくするという簡単なものだという。ただ、1歳半の子はじっとできないので全身麻酔になるというのが心配だ。生まれて次の日には全身麻酔を受けた子である。手術自体はどうも心配することないくらい簡単なもののようだが、万が一失敗した時は耳の中で出血するので、やっかいなことになる。
2011年6月12日日曜日
カルメン!
世界の劇場のどこかでは、毎日カルメンが上演されている、という。先日はこちらリスボンでカルメンの初日があった。カルメンしか歌わない、というスペシャリスト歌手と高音域が常に危ないが、テレビ「MEZZO」にもジョゼ役で出てくる高名なテノール歌手との共演はまれに見る、オペラ好きの人にはたまらないキャストであったのかもしれない。演出がいわゆる「Regietheater」そのもので、クラシックな舞台を求めている人には退屈なカルメンだった。
ふと思うが、オペラ歌手の人たちは自分がどう歌うか、よりもどういう演技をするか、ということに意識が集中している気がする。彼らにとってはオペラというものは役者として演技するもの、である。ただいつも見ていて思うのは、正直に言って、演技というものを歌と同じように勉強してこなかったのでは、ということだ。
いつも端から見ている自分には歌の場合は何がよくないのか、どうするべきなのかはだいたい分析できるが、演技の方は何となく「よい」「よくない」ことしかわからない。
たいていの「Regietheater」の演出の先生は歌手がどう歌うか気にしないので、1ヶ月以上の舞台稽古では歌の意識は薄れるばかりである。ましてはキャストの選考でも演出の先生が主導権を握るので、まず演技ができる人、できそうな人から順番に選ばれる気がする。
今回のカルメンは、確かに演技はすばらしくできる人のように思える。歌は初日になって、必要性にかられ、初めて「ちゃんと」歌ったようだ。ジョゼ役の人は、上背があり筋肉質で、それに何となく悲劇的な雰囲気があり役にぴったりかもしれない。歌の方は技術的な問題なのか、テノールの生命線である高音域がしっかりできない。致命的なことだと思うのだが、さていったいお金を払って見に来ているお客さんはどういうものを見たいのか、意識する人はいるのだろうか。
2011年5月2日月曜日
カストロ・ヴェルデ
去年ごろからの不況が今年に入って危機的な状態にあるという国際的な指摘を受けてというもの、あおりを受けて動きがなくなってしまったポルトガルの音楽界。そういう時期に、アレンテージョ州の文化的遺跡を中心の開催された音楽祭。先週末はリスボンから南へ200キロ行ったところでの音楽祭の一環のコンサートにピアニストとして出演してきた。
ピアニストとしての出演はなるべく引き受けたくないものだが、何せ元劇場監督のピナモンティ氏から直々頼まれては断るわけにはいかない。そもそも、ピナモンティ氏からはいい評価をもらってきたが、どうやらピアニストと思われている。
ベロナのアレーナの合唱団との共演だったが、リストの「Via Crucis」という息も絶え絶えの晩年の作品で、それを1日に普通のリハーサル、総練習、本番と何度も通して演奏しないといけなかったのは閉口した。1000人ほどの人口の町、カストロヴェルデの古いカテドラーデに800人ほどの人が集まり、テレビ局がライヴ録画した。なかなか面白い体験をさせてもらったが、ピアニストとしての出演はいつも後に寂しい感情が残る。
2011年4月16日土曜日
経済危機
大震災後も福島の原子力問題などで苦しむ日本の人たちだが、ポルトガルもそれに劣らず大危機の状態にある。大分前から言われていたポルトガル経済の破綻だが、ついにドイツやフランス、特に自国の野党からの圧力に屈し、自ら経済危機にあると宣言した。ついに土俵際に追い詰まれているようである。
この国には頼りになる経済的な柱がない。というより、自国の製品が市場にない。片田舎のアーレンテージョで買い物しても、フランス製のジャガイモ、スペイン産のトマト、海産物もポルトガル産のものが見当たらない。外に出れば農家があふれているのにこのスーパーでは自国産の野菜がかえない。こういう状態では、どうやって自国の経済を立て直していくのかよくわからない。だからといって、外国製品の不買運動なんぞは起こらないし、今夏ボーナスが出なくても意外に本気になって怒る人もあまりいないだろう。
自分には投票権がないので、国を変えようとしている人に一票をあげたくてもできない。とはいっても、この国を建て直す、と嘘ぶる次期首相候補もいない。投票権があっても、誰が首相でも何も変わらないだろう、というのが大方の意見でよってこれからも何も変わっていかないだろう。これがポルトガル、という国である。
2011年4月1日金曜日
転校生
ヨメの勤務先が4月から変わることになったので、必然的に1歳3ヶ月になる息子も「転校」することになった。半年ほどお世話になった前の保育園では特別かわいがってもらい、別れは親にとってつらいものだった。
さて新しい保育園は家からすぐ近くなので、これから1時間以上のクルマでの「通学」時間はなくなる。さして広くもないところだが、家の付近は緑にも囲まれ、海にも近いので、これから夏にかけては外で遊ぶには最適の時期になる。
転校生の初日は全く問題なかった。昼食もミートスパゲッティと家でも食べたことないものだったが、フォークを使って一人で食べていたという。後は遊び道具と、にぎやかな同級生としっかりした先生がいれば息子は満足すると思うので、とりあえず一安心。
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