2013年11月12日火曜日

指揮のマスタークラス

エヴォラでの仕事も5年目になり、そろそろクラリネットのクラスの伴奏以外にも、意義のある仕事が欲しい、というのが正直な気持ち。
クラリネットとの仕事はたまたまそうなっただけで、何も特別意図があって自分から選んだ仕事ではない。
大学での自分の居場所は、そこしかない、ということだ。
ふと思い立って、指揮のマスタークラスのプレゼンテーションをつくって、いろいろな大学に提出することにした。
基本的な指揮のテクニックは自分に教えられる技量はあるかどうかなどわからないが、なにせ長い間、習ってきた身である。
少なくとも初期の、指揮の第一歩を踏み出せるような、講習会ならできるのではないか。
指揮を習いたい、と音楽の学生なら一度は思うことだから、受講者の数に困ることはないはずだ。
指揮を教える人も、この地ポルトガルにはそういないはず。
勤め先のエヴォラから早速いい返事をもらって、エヴォラの音楽フェスティバルの一環として取り入れてもらえた。
課題に誰もが知っているような曲、初心者には少々難しいような曲も計7曲用意して、3時間のプログラムでのぞんだ。
自分が学生のときはまずなかった、楽譜をプロジェクターを使って映したり、CDから実際の演奏の例も、アップルを活用して用意した。
期待通り、受講者はこの大学の規模にしては上々の15人ほど集まり、3時間では到底終われないくらいの密度で、課題の曲は半分しか消化できなかったが、特に大きな問題も発生せずにできたと思う。
これから受講者に希望を出してもらって、大学のカリキュラムに組み入れてもらえれば自分のクラスを持てるようになるのだが。
そう願いたいところである。

2013年11月5日火曜日

ウィーンの国立オペラ

ウィーンのオペラ、国立歌劇場はまさに自分の「家」であった。
ウィーンに来たばかりの頃は、とにかく時間を持て余していたので、できる限りオペラに通い、20シリングだったかの立ち見席で本物のウィーンフィルの響きに接した。
カレーラスやドミンゴが出演する演目は、立ち見席でも1晩並ばないといけなかったので聴けなかったが、たいていのオペラのレパートリーと呼ばれるものは観たはずである。
89年だったか、日本の歌舞伎座がヨーロッパツアーをしていて、ウィーンでも1週間公演をした。そこで同時翻訳のためのミニラジオを整理するような、雑用のアルバイトの話があって、やることになった。当時17歳、生まれて初めての、お金をもらうアルバイトである。
オペラ座の地下かなんかの一室で、6、7人のグループで何千かのイヤホンの整理をひとつひとつした。オーストリア人も混じった、雑談ばかりのかなり楽しい時間だった記憶がある。
ひまができると、オペラの中を歩いて回った。客席にいったり、あらゆるところを歩き回った。公演もただで見せてもらったので、生まれて初めて、歌舞伎を見せてもらった。公演が終わると、スタッフの一員として舞台裏に行けた。仲間について歩いて、舞台上を横切ったら小道具の人に怒鳴られた。
舞台上は、役者しか足を踏み入れてはいけない神聖な場所である、と。
びっくりして、なんてことをしてしまったんだ、と恥ずかしかったが、このことは今でも忘れなく、舞台上を歩くたびに思い出される出来事だ。 ヨーロッパのオペラにそういうしきたりがあるとは聞いたことがないが、すばらしい心だと思う。
ウィーンのオペラ座には、それからオペラを勉強することになってからまた頻繁に通いだしたが、結局スタッフとして一度も働くことなくしてウィーンを去ってしまった。
自分にとって、オペラとはウィーンのオペラ座のことである。オペラのレパートリーとは、ウィーンでやっていたものであり、歌手の基準はウィーンで聴いてきたものである。
オーケストラも、ウィーンで聴いてきたものが、自分の中で普通のもの、あたりまえのものである。
本当は、ウィーンのこのオペラ座で人生の仕事をするのが夢、なのかもしれない。