ウィーンのオペラ、国立歌劇場はまさに自分の「家」であった。
ウィーンに来たばかりの頃は、とにかく時間を持て余していたので、できる限りオペラに通い、20シリングだったかの立ち見席で本物のウィーンフィルの響きに接した。
カレーラスやドミンゴが出演する演目は、立ち見席でも1晩並ばないといけなかったので聴けなかったが、たいていのオペラのレパートリーと呼ばれるものは観たはずである。
89年だったか、日本の歌舞伎座がヨーロッパツアーをしていて、ウィーンでも1週間公演をした。そこで同時翻訳のためのミニラジオを整理するような、雑用のアルバイトの話があって、やることになった。当時17歳、生まれて初めての、お金をもらうアルバイトである。
オペラ座の地下かなんかの一室で、6、7人のグループで何千かのイヤホンの整理をひとつひとつした。オーストリア人も混じった、雑談ばかりのかなり楽しい時間だった記憶がある。
ひまができると、オペラの中を歩いて回った。客席にいったり、あらゆるところを歩き回った。公演もただで見せてもらったので、生まれて初めて、歌舞伎を見せてもらった。公演が終わると、スタッフの一員として舞台裏に行けた。仲間について歩いて、舞台上を横切ったら小道具の人に怒鳴られた。
舞台上は、役者しか足を踏み入れてはいけない神聖な場所である、と。
びっくりして、なんてことをしてしまったんだ、と恥ずかしかったが、このことは今でも忘れなく、舞台上を歩くたびに思い出される出来事だ。
ヨーロッパのオペラにそういうしきたりがあるとは聞いたことがないが、すばらしい心だと思う。
ウィーンのオペラ座には、それからオペラを勉強することになってからまた頻繁に通いだしたが、結局スタッフとして一度も働くことなくしてウィーンを去ってしまった。
自分にとって、オペラとはウィーンのオペラ座のことである。オペラのレパートリーとは、ウィーンでやっていたものであり、歌手の基準はウィーンで聴いてきたものである。
オーケストラも、ウィーンで聴いてきたものが、自分の中で普通のもの、あたりまえのものである。
本当は、ウィーンのこのオペラ座で人生の仕事をするのが夢、なのかもしれない。
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