右耳にまだ残っていたチューブが耳あかの固まりと化して外にでてきた。
この青色のチューブはもうだいぶん前から鼓膜から外れていて、その本来の役割はなしていなかった。小さいチューブの穴は完全に耳垂れのようなものでふさがっており、しかも乾いてガチガチになっている。こういう異物がずっと耳の中にひっかかっていたなんて、息子にとって気分のいいものではなかったはずだ。外には自然に勝手にでてきたが、よかった。
息子はおそらく常に中耳炎にかかっているような状態らしく、いつ、どの先生に見てもらっても「鼓膜はよくない」という返事が来る。
さて、チューブ留置の手術なんてする必要はあったのであろうか。結果的には術後も2度だったか3度だったか、抗生物質を飲む必要があるくらい熱を伴う中耳炎になった。左耳のチューブは3か月後に膿みと一緒になってあふれるように耳からでてきた。
ちょうど1年前になるが、チューブ留置の手術は2人の医者から進められ、結局セコンドオピニョンの医者により私立の病院で行われた。当時1歳半の息子は当然、親にとっても痛かった。チューブ留置の手術なんて簡単ですぐ終わるものだが、手術は手術である。結果論だが、効果がない手術なんてしなければよかった。
生まれてすぐジャテネというおそらく人生最大の手術を受けた息子だが、できることならもうずっと、手術や麻酔などと無縁でいてほしいものである。
2012年5月23日水曜日
2012年5月9日水曜日
保育園
9月から息子の学校(保育園)を変えることに決めた。今通っているところは2年前申し込みの際いきなり事務の女性が息子のことを「心臓の子」と呼んだところである。
最初に心臓手術の話を詳しくした自分たちがいけなかった。そもそも父親が日本人であるハーフの子なので担当の先生からも「中国人ちゃん」とときどき呼ばれているような学校である。あまり2歳の子のことなので親がまだそんなに感傷的になることはないと思っていたが、そういう人たちのいるところはほかにも問題が出てくるものである。事務の女性とは何度か言い合いになった。
3月には来年度のこと、継続するか否か決めないといけない規則なので、ヨメを相談してほかのところを探す旨を伝えたところ、しばらく自分たちがどれだけ気を使って世話をしているか、と言うことをがんばって主張していた。
やっと今月に入って次のところを見つけて申し込みを済ませてそれを伝えると、今度は打って変わって冷たい態度を取り始めた。息子自身はどういう扱いを受けているのか心配だが、せめて普通に今年度末の7月まで頑張ってもらいたいものである。
最初に心臓手術の話を詳しくした自分たちがいけなかった。そもそも父親が日本人であるハーフの子なので担当の先生からも「中国人ちゃん」とときどき呼ばれているような学校である。あまり2歳の子のことなので親がまだそんなに感傷的になることはないと思っていたが、そういう人たちのいるところはほかにも問題が出てくるものである。事務の女性とは何度か言い合いになった。
3月には来年度のこと、継続するか否か決めないといけない規則なので、ヨメを相談してほかのところを探す旨を伝えたところ、しばらく自分たちがどれだけ気を使って世話をしているか、と言うことをがんばって主張していた。
やっと今月に入って次のところを見つけて申し込みを済ませてそれを伝えると、今度は打って変わって冷たい態度を取り始めた。息子自身はどういう扱いを受けているのか心配だが、せめて普通に今年度末の7月まで頑張ってもらいたいものである。
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