2012年3月23日金曜日

GULDA!

フリードリヒ・グルダは子供の頃自分にとってアイドルであった。彼の弾くベートーヴェンのソナタやコンチェルトのレコードは何度も繰り返し聴いた。そのせいか、今でもピアニストが弾く音楽で興味を引くのはグルダ以外いない。

どの楽器でもそうだが、音楽の後ろにはいつも人間がいるわけで、ピアニストの演奏に普段感動させられることがないのは人間的におかしな人が多いからだろうか。いくらバンバン上手に弾けていても人として関わりたくない雰囲気があるとその人の演奏するピアノも聴きたくなくなるものである。

とにかく延々とバンバン鍵盤を叩いている人もいるが、自分にはなぜそういう行為をしているのかあまりわからない。グルダもバンバン弾くが、音楽的イメージが楽器を通して鮮明に出てくるのでピアノという機械の存在を感じさせられない。音楽と騒音の根本的な違いである。

グルダ作曲の「プレリュードとフーガ」などは彼の頭の中の高度な音楽的構造がうかがえる。自分などには一生取り組んでも届かない領域のような気がする。チェロ協奏曲はかなり奇抜で、刺激的である。実際聴いた時はがっかりしたが、メヌエットは美しい音楽だ。あとジャズの即興などは、その才能に驚くのみである。

この人は音楽界のお偉いさんからも、挙げ句の果てにはジャズ界からもとにかく叩かれた。グルダという音楽家に反対する署名運動が行われた。評論家からも悪く書かれた。ウィーンでの最後のコンサートでもプログラムの終わりにはディスコ形式にして明け方まで客席を開放してしらけていた人の方が多かった。実際自分が聴いたコンサートでもモーツァルトのコンチェルトのあとのプログラムの後半DJになって軽めのジャズ音楽を続け、曲間にはマイクを使って軽い口調で客席に向かって長い時間話した。アンコールも何曲もあったが、「こんなんであなたたちを家に返すわけいかない。もう一曲行きます」と言ったところ、「自分から出て行く」とおばさんから野次られていた。自分もかなりがっかりしたが、そういう事実すべてが悲しい光景であった。人曰く、グルダはあんなに素晴らしくモーツァルトやベートーヴェンを弾くのに、なぜ?

グルダには、とにかく一人でも多くの人に音楽に接してもらいたいという強い気持ちがあったと思う。演奏には、あれ程の才能でありながらポリーニのような上から目線を感じない。才能を万人を前に披露している感もない。当然音楽学的な知識を持って威張っている感じも全くない。
どこか「これをぜひ聴いて欲しい」をいう純粋なアッピールをただ強く感じるだけだ。

それで叩かれても、呆れられても自分のやりたいような音楽を貫いた。文書でも、公開演奏でも常に世間を刺激し続けようとした。ケルントナー通りで何度か見かけたことがあるが、一度ルンペンの格好をして2人の「本物の」路上居住者を連れて歩いていた。なんのパフォーマンスか知らないが、なぜそのようなことをするのか、悲しくなった。世間を刺激したかったのか、そのわりにはこのケルントナー通りの一件は公に語られることはなかった。

グルダ自身、奇人であったモーツァルトにダブらせていたようだが、ピアニストとして、作曲家として最高の評価を得るべき人物だと自分は思う。できることならグルダの作品を手にして、できることなら演奏したいものである。

2012年3月11日日曜日

震災後・その他

3月11日は震災後1周忌いうことであちこちでイベントがあり、新聞には著名人のコメントで賑わっていた。どこにどう使われるのか、億単位の寄付をする人は公に発言しわざわざ金額までしっかり新聞に載る。寄付という行為はそういうものだろうか。そのような金額には縁がない自分には寄付を公にするという行為がなんだか理解できない。イベントにボランティアで参加する人達のなかにはその行為により社会的な評価を得よう、または商売人の間ではこの機会にいいイメージを売ろう、という魂胆が隠れ見えていることもある。

自分自身、去年ぜひ追悼コンサートを、と思いジナジオ・オペラを通じ具体的な計画まで立てていたが、結局実現までいかなかった。何人かの音楽家同志からボランティアでの参加意思を受けていたのにかかわらずである。残念だったが、所詮無力な一音楽家としてそれ以上できることはなかった。

何もしなかったのは95年だったか、阪神大震災の時も同じであった。当時実家も少なからず被害を受け、関西出身の自分にとって神戸があのような姿になってしまうのは大きなショックであった。当時はインターネットもなく情報も今よりずっと少なかったが、今回の震災後のように競うように寄付を名乗り出たりあちこちでイベントが催されたりということはなかったと思う。ウィーン音楽院の学生であった自分に追悼コンサートやらの話しは聞かなかったし、そういうアイディアも全くなかった。

ただ一つだけ当時の震災に関連してした行為がある。断食をした。14日間、ミネラルウォーターだけで過ごした。家を失った人に比べれば、よほど普通に生活をしていたと思う。