2012年2月21日火曜日

大血管転移症(TGA)のその後

大血管転移症という病気を持って生まれた息子はその後心臓にも心身の成長にも異常がみられることもなく、先月2歳を迎えることができた。手術跡の胸もここのところだいぶん目立たなくなってきた。しばらくすると息子の方からこの傷はなに?ときいてくることであろう。

この病気は根治手術によって通常の生活を送れることができるが、それはあくまで根治手術であって術後のケアは一生続くものである。インフルエンザにかかったり、熱が出て病院に行くような場合は、必ずこの手術を受けたことをまず医者に言わないといけない。おそらく、普通の子供と処方が変わってくる。一度、ある耳鼻科の医者からは抗生物質を飲むことを恐れてはいけないと言われた。高熱をだした場合はこの子の体にかかる負担は普通の子よりさらに大きいという。

この大血管転移症(TGA)は優れた産婦人科の先生によっては胎内で発見されることもある。その際心エコーでの診察が必要である。発見された場合は出産も専門の心臓外科病院にて帝王切開によっておこなわれ、生後すぐにバルーン手術ができるように準備される。というのも、この症状は放置すれば数日後には命が絶たれるものであるからだ。

息子の場合は、残念ながら前もってこの心臓の奇形は発見されず、一般総合大学病院でこく普通に出産が行われようとしていた。息子の命を救ったのは産後のスタッフの見事なケアと、夜0時ながらすぐ駆けつけたサンタクルス病院の小児心臓外科の権威ルイ・アンジュス先生によるものである。

ただそれだけでなく、出産前にも息子の命を救った偶然があった。帝王切開の出産に至った経過である。

懐妊は前もって計画していたので、妊娠の徴候前から欠乏すると胎児に何らかの悪い影響があるという葉酸の錠剤を服用していた。妻は以前からタバコは吸ったこともなく、アルコール類もいっさい口にしない。妊娠中は何度かあった血液検査も、数々の検診でも母子とも至って正常で、勤務中も家での生活も幸せに満ちたものであった。

妊娠の第39週に妻の体に異常が起こった。体にむくみが出て、異常な倦怠感があり尿は赤く染まってきた。散歩に誘ってもどうも家から出られない。どうも様子がおかしいので病院の方に行ってみると、血圧が異常に高く妊娠高血圧症候群と診断され、即入院となった。

病院ではいろいろなチューブにつながれ、排尿はなんと自動にチューブを伝ってポリ袋に入るもので一見でどういう色かわかる状態であった。赤い尿は続いたが、毎15分ごとに計られる血圧は大分安定してきた。さて、それでは出産を催促させようと陣痛促進剤が使われたが、何時間経ってもその気配はない。室外にはモニターがあって胎児の心拍や動きがわかりグラフが出るが、そこにも全く静かで生まれる気配は全くない。触診でも子宮口は全く開いていないという。

入院先は公立の病院であったので、何か決まりがあるらしく高額な帝王切開は緊急の場合のみ行われる。安定してきたとはいえ、下が100以上の高血圧が続く妻の場合は即帝王切開の決定がくだされるべきではないか。

入院から30時間経って初めて帝王切開の話が出た。出産の際には2人で頑張ろうと言っていた自分達は少々面食らったが、とりあえず気持ちを入れ替えて待機することさらに3、4時間。父親は一般待合室に閉め出された。

手術は普通におこなわれたが、へその緒を切った後すぐ顔が蒼白状態になり記録によると呼吸も一旦停止したという赤ちゃんをみて、医師団はさぞかしびっくりしたことであろう。妻は彼らが叫ぶようにして話していたといい、赤ちゃんはすぐに集中治療室に持っていかれた。

待合室の父親に担当医師が「出産しました」というメッセージを伝えてきた。ただ、呼吸困難があるので今ちょっと調べているところです、という。正直なところ、何か飲み込んでしまってのどがつっかえているのかな、という印象を受けた。赤ちゃんは元気なのか、と尋ねるとそれは元気で問題ない、という。

その後直ちに救急車で20分の距離のサンタクルス病院に移送され、生まれて12時間後ようやくバルーン手術を受け、根治手術のジャテネは11日後であった。

その後の赤ちゃんは見る見るうちに回復したが、親の方はショックが後を引いた。先天性病気を持った子が生まれると自分達に何かの落ち度があったのではと思うのは自然な反応であろう。実際今でも息子をみていったい何をしていたの?と訊かれることがある。

妻は半年の間、カウンセリングを受け徐々に立ち直っていった。父親である自分は出産休暇を病院での付き添いに使ってしまい、いざ仕事となっても全く力が入らない。仕事どころでない状態で、危ういところで勤務先を解雇されそうになってしまった。

当時のことを思い出すと、子供が生まれた喜びよりも悪夢と言った方がぴったりくる。よく赤ちゃんのストレスを減らすためバスタブでの水中出産だとか、自宅で環境を整えてリラックスした状態での出産とか、いろいろあるがTGAの子が生まれてくるとしたらいずれも死に至る出産方法である。友人で水中出産を行った人がいたが、そういう信念を持っている人は誰のどういう話にも耳を傾けない。自分には母親の自己満足のためにやっていることとしか思えない。

生後21日間は常にチューブにつながれ、ミルクより多く高価な薬を飲んできた息子は2歳になって心身ともに普通に元気な子である。ストレスなどとは無縁のような自信にあふれた男の子である。

2012年2月6日月曜日

テレビの出演

昨日は久々のテレビ出演があった。いつものようにピアニストとしての出演で、いつものように画面のはじっこで数分だけの出演であるが、生放送でミスをした場合にのみ目立つことになってしまう都合の悪い出演である。国営放送RTP1の夜9時15分からのゴールデンタイムで、会場のドンナ・マリアII劇場には首相や、文化書記長(文化大臣のポストは廃止されているので国の文化事業のトップ)の出席もあった。

自分にとってのテレビ出演は大体いつも同じ調子である。まず、その日のために何か月前から準備するようなことはなく、話は突然降ってくる。そしてノーギャラである。自分のような身分のクラシックの音楽家にとっては、何千万という人が視聴する番組にはこちらからお金を払ってでも出たいくらいのものである。

演奏自体はこの自分の技量では今回も危ない場面があったが、何とか最後までごく普通にたどり着けた。ミスしそうになる状況ではこれで自分も一巻の終わりか、ということで頭がいっぱいになり、そういう心境は至高な音楽を演奏する芸術家にはほど遠い。指揮をする場合は演奏家を前にしているだけにそういうネガティヴな心境にはまずならないのだが、ピアノを弾くときは演奏する場が重ければ重いほど、よけいなことで頭がいっぱいになる。

想像するに、もし万人を前に自分の料理を披露することになってしまったら、震える手を披露してしまうであろう小心者である。某国代表のサッカー選手は、男は誰に何を言われようが自らの拳で自分の運命をつかみにいくのだというようなことを語っていたが、この我が人生を切り開いていくべき手はいざというときは銅像のように重く固くなってしまうのでなく、そういう時こそ勝手気ままに躍動してほしいものである。

出演が終わったあと、早速2人の友人から電話がかかってきた。いずれもテレビで見たよと、向こうの方がよけいに喜んでくれている。その一時は思いかけず誰もを幸せにさせてくれ、改めてテレビが持つ影響力を思い知らされる。

http://www.rtp.pt/multimediahtml/video/portugal-aplaude