2012年1月31日火曜日

歴史上のリスボン大地震

1836年発刊の「Handbuch der allgemeinen Staatskunde von Europa」(学者の先生方はこれをどう訳すのだろうか。この意味は完璧に理解するが日本語で言い方はあるはず)にリスボンの地震について興味深い文章があった。

このFriedrich Wilhelm Schubert 著作の古本によれば、830年の間に15もの大地震があったという。1007年、1117年、1146年、1290年、1356年8月24日、 1531年1月1日、1575年7月27日、1597年7月27日、1598年7月22日、1699年10月27日、1724年10月12日、1755年11月1日、1761年4月30日、1796年1月10、及び17日、1807年6月6日。

これ以降は別の文献で見る必要があるが、上の年月には当然アラブ人やスペインに征服されていたポルトガル史上暗黒の時期もあるわけだ。

上記の地震のうち、特に被害が多かったものとしてほぼ全壊状態で年中余震が続いたという1356年、サンタ・カタリーナ区の丘のある3つ道路が崩れ落ち、丘自体も真っ二つに切り裂いたという1597年、そしてよく知られている8日間揺れが続いたという1755年とあった。

18世紀を中心に、あまりに頻繁に発生してきたリスボンの地震。今の時代でこういうマグニチュード7強の地震が都心部で起きるとなると、壊滅的な被害は目に見えている。ましては、無許可の建築物が立ち並ぶこの街でのことだ。

2012年1月13日金曜日

中耳炎 続編

息子の耳に留置してあったチューブが外れて出てきた。手術からわずか4か月である。その耳からは鼻汁のようなものが溢れるようにしてでてきた。またもや中耳炎である。

ほんの一ヶ月まえも中耳炎になったので、結局手術後2度目の中耳炎の発病である。耳鼻科の医者は想定内のことで、あまり心配はいらないというが、今回の中耳炎は溜まっていた膿が一気に出てきたようで数日後にはまだチューブが入っているはずの反対側の耳からも液体がどんどん溢れてきた。というわけで熱は下がったり上がったりで今週は結局一週間保育園を休むことになった。

一体これからどうなるのであろうか。まだ幼いので、耳が痛いということは表現できない。また中耳炎が続くようであればチューブ留置の再手術の可能性もあるらしい。とにかく将来聴覚機能が失うようなことがないよう祈るばかりである。

2012年1月5日木曜日

パオ・デ・ラーラ

エヴォラには家族経営のアレンテージョ州の伝統的な菓子類を提供する印象深いカフェがある。パオ・デ・ラーラは市内の城壁内に位置し、ちょうど軍事学校のすぐ隣にあり、店内20席ほどの静かなスペースは笑顔に満ちた常連客で常に埋まっている。

見ている限り、50歳前後のご夫婦は仕事を完全分業されていて、お菓子製業を担当するおばちゃんは時々顔を出されるくらいで店内サービスは旦那さんが受け持つ。
お菓子はすべて店の生産であり、エヴォラ市でさえよくみられる一般工場で作られたものではない。一見で伝統的なレシピを少しのブレもなく繊細に作られていることがわかる。国内のカフェにはどこにでもあるパステル・デ・ナータでさえ、ここでは驚くほど美味しい。大量生産されているリスボンのベレンのものの比ではない。

カフェの名前は伝統菓子の一つであるパオ・デ・ラーラから来る。パオ・デ・ラーラはかなり乾いたもので普通はあまり美味しいものとは思わないが、こちらのカフェのものはいうまでもなく食べて見る価値のあるものである。常に様々な大きさのパオ・デ・ラーラが陳列されており、小さいものでも一つ30ユーロほどする高価なものだが、見た目も美しく、味も口当たりも完璧なバランスでどう考えても金額に見合っている。ヨーロッパのケーキ類は雑に作られていると発言する人はこういうカフェを知らない人であろう。

リスボンではクリスマスの時期にしか見かけない、切った食パンを揚げてシナモンと砂糖をまぶした「ドラーダ」がここでは年中置いてある。何かアレンテージョ州特有の理由があるのかも知れない。

https://www.facebook.com/pages/Pastelaria-Conventual-Pão-de-Rala/248352579349