今年は皇帝が暗殺され国政が民主主義化した100周年に当たり、10月5日はその祝日であるので、現国歌の作曲者であるアルフレード・カイルのオペラを上演するにはちょうどいい機会であった。
作曲者はケイルと呼ぶのかもしれないが、明らかにドイツ系の名前で、それに加えてポルトガル人の「えい」の発音は限りなく「あい」に近く個人的にはカイルと聞こえる。後期ロマン派の作曲家だ。
オペラの大半はマエストーゾのコラール風、または行進曲風に終始する。当時はやった異文化趣味的な音楽は全く見られない。物語の進行は分厚いオーケストレーションでの減7和音の伴奏によってレチタティーヴォがずらりと続く。話は13世紀のポルトガル南部、アルガルヴェでのもので、ドラマティック・テノールの役のアラブの王様と恋に落ちるお姫様の話である。主人公のブランカはソプラノ・リリコで、ちょうどミミやリュウといった感じである。
オーケストラは3管、トランペットやトロンボーンは4本持つ大きなものである。吹奏楽の部分がかなり強調されたオーケストレーションで、金管も楽想の重要な部分を受け持ち、かなりの時間に活躍する。分厚いオーケストレーションはまるでワーグナーのようだが、バレーも入るのでフランスオペラに分類されるのかもしれない。ただマスネはこのようにとんでもなく分厚くは書かなかった。
吹奏楽で編成される舞台裏オケは今回は観客席の奥の、いわゆる「大統領ロジェ」に配置された。
テキストはイタリア語で歌われた。スコアにはフランス語のテキストもあるのだが、書かれたリズムはイタリア語にあまりしっくりいかず、比べてみると本来フランス語のテキストで書かれたのではと気になって仕方がなかった。ポルトガル語のは存在しない。
音楽のアイディアそのものは素晴らしく、ところどころポルトガルのにおいを感じられる。15分ほどの「アラーは偉大なり」が繰り返される壮大な合唱のナンバーも登場する。よくある異文化を茶化した音楽ではなく、かなりしっかり正統的に書かれている。
テロの脅威の今の情勢の中、こういう「アラーへの讃歌」ものは少し配慮も必要と思うが、ここ極西南ヨーロッパに位置するポルトガルではどうでもいいのかもしれない。
本来4時間ほどかかる超大作は今回は2時間30分の音楽に縮小され、規模的に中小オペラのようになってしまった。バレー音楽は当然全部削除された。アリアも少しずつカットされ、場合によっては始めと終わりだけ、という大まかな縮小もあった。演出なしの上演にも配慮してか、今回の指揮者の先生はスコア指定よりかなり早めのテンポ設定に終始された。もともとべったりと重たい音楽で、それでも演奏者側には永遠に感じられた。
ブランカ役のソプラノは声の質的にかなりいいものを見せていたが、頻繁に出てくるカデンツァは必ずと言っていいほど正しい音が取れていなく、テノールは声が軽いのにまして明らかに勉強不足で、大統領ロジェの吹奏楽隊はオケとの音響的な問題を解決できないままで終わった。楽譜のほうは、今回の上演に当たって改訂版が新たに作られたが、それもまだところどころプリントミスがあり上演後に訂正していくという事態になってしまった。
リハーサルはとにかくスケジュール上全く配慮されていなく、ぶっつけ本番になってしまった部分も少なからずあった。これもあの前監督によって残された負の財産なのであろうか。個人的にはこういったとほほな部分は自分の手が届く範囲外で、ただ傍観するのみという立場である。今のところ、この仕事は少なからず我慢が必要である。
お客さんの反応や新聞状の批評はすこぶる良いもので、とりあえずめでたしめでたし、という今シーズンの船出になった。
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