2011年5月2日月曜日

カストロ・ヴェルデ

去年ごろからの不況が今年に入って危機的な状態にあるという国際的な指摘を受けてというもの、あおりを受けて動きがなくなってしまったポルトガルの音楽界。そういう時期に、アレンテージョ州の文化的遺跡を中心の開催された音楽祭。先週末はリスボンから南へ200キロ行ったところでの音楽祭の一環のコンサートにピアニストとして出演してきた。
ピアニストとしての出演はなるべく引き受けたくないものだが、何せ元劇場監督のピナモンティ氏から直々頼まれては断るわけにはいかない。そもそも、ピナモンティ氏からはいい評価をもらってきたが、どうやらピアニストと思われている。
ベロナのアレーナの合唱団との共演だったが、リストの「Via Crucis」という息も絶え絶えの晩年の作品で、それを1日に普通のリハーサル、総練習、本番と何度も通して演奏しないといけなかったのは閉口した。1000人ほどの人口の町、カストロヴェルデの古いカテドラーデに800人ほどの人が集まり、テレビ局がライヴ録画した。なかなか面白い体験をさせてもらったが、ピアニストとしての出演はいつも後に寂しい感情が残る。

2011年4月16日土曜日

経済危機

大震災後も福島の原子力問題などで苦しむ日本の人たちだが、ポルトガルもそれに劣らず大危機の状態にある。大分前から言われていたポルトガル経済の破綻だが、ついにドイツやフランス、特に自国の野党からの圧力に屈し、自ら経済危機にあると宣言した。ついに土俵際に追い詰まれているようである。
この国には頼りになる経済的な柱がない。というより、自国の製品が市場にない。片田舎のアーレンテージョで買い物しても、フランス製のジャガイモ、スペイン産のトマト、海産物もポルトガル産のものが見当たらない。外に出れば農家があふれているのにこのスーパーでは自国産の野菜がかえない。こういう状態では、どうやって自国の経済を立て直していくのかよくわからない。だからといって、外国製品の不買運動なんぞは起こらないし、今夏ボーナスが出なくても意外に本気になって怒る人もあまりいないだろう。
自分には投票権がないので、国を変えようとしている人に一票をあげたくてもできない。とはいっても、この国を建て直す、と嘘ぶる次期首相候補もいない。投票権があっても、誰が首相でも何も変わらないだろう、というのが大方の意見でよってこれからも何も変わっていかないだろう。これがポルトガル、という国である。

2011年4月1日金曜日

転校生

ヨメの勤務先が4月から変わることになったので、必然的に1歳3ヶ月になる息子も「転校」することになった。半年ほどお世話になった前の保育園では特別かわいがってもらい、別れは親にとってつらいものだった。
さて新しい保育園は家からすぐ近くなので、これから1時間以上のクルマでの「通学」時間はなくなる。さして広くもないところだが、家の付近は緑にも囲まれ、海にも近いので、これから夏にかけては外で遊ぶには最適の時期になる。
転校生の初日は全く問題なかった。昼食もミートスパゲッティと家でも食べたことないものだったが、フォークを使って一人で食べていたという。後は遊び道具と、にぎやかな同級生としっかりした先生がいれば息子は満足すると思うので、とりあえず一安心。

2011年3月12日土曜日

大地震

先日の東北地方の大地震の映像がテレビで流されている。悲惨な状況は目を覆うばかりである。95年の阪神大震災ではそんなテレビ中継などなかった。オーストリアで流れたニュースは新聞でだったが、関西出身の自分には心に突き刺さるようなショッキングな出来事だった。

今回は自分の故郷から遠いとはいえ、戦場のような絵はイメージにある日本からかけ離れていて、かなりひどい。一刻も早い復旧と人々の心の傷が癒されることを祈るばかりである。

リスボンでも大地震が近いといわれる。1755年のリスボン大地震でも、1531年でも人口の3分の1の命が失われた。人口の3分の1を今現在に当てはめると、100万人になる。何とも凄まじい数だが、リスボンの建築物に日本のような地震対策などないから、十分にあり得る数字かもしれない。

Castella do Paulo 2

勤務先のオペラ劇場はリスボン市中心のシアドにあるので、レストランやカフェが数多くありランチタイムには行き先を自由に選べる。ただ手頃な値段でおいしく食べられるところはなかなかなく、というのもたいていのところは投げやりなひどい料理をだす。数多いカフェでも昼の時間帯に限ってこの国の習慣なのか、当然のように食事のメニューを出すが、そういうところでもなかなかおいしい食事には巡り会えない。

昼の休憩時間は限られているので、手軽に、速く、おいしいものをとなると選択肢はかなり限られてくる。手早く食事を済ませられるイタリアンは何軒かあるが、それもすべて安くておいしいところとはいい難い。近くの病院や警察の社員食堂では安いがおいしいランチは期待できない。

リスボンのコメルシオ広場からすぐの「パウロのカステラ」はその名の通り、主にカステラを中心にしたケーキ類の製造、販売をするおしゃれなカフェだが、やはりほかのカフェと同様平日ランチタイムには少なくとも2種類の料理を出している。日替わりメニューで、ほかの店ではお目にかかれないポルトガル伝統料理をベースにした創作レシピ、カレーライスやかき揚げ天ぷらと言った日本の一般的な家庭料理などを5−7ユーロほどでおいしくいただける。そういうことで、劇場から徒歩10分の距離のこのカフェに何度も通わせてもらった。

本職はケーキ屋さん、という色を前面に出していて、パウロ氏の創作ケーキを日替わりで3、4種類出している。日本でよく食べる甘さを控えめにしたようなケーキに一工夫加えていて、とても充実したものだ。値段は2,8ユーロで、このレベルのケーキは少なくともリスボン市内ではずば抜けている。

25席ほどの小さい店内は常に満席だ。中高年女性に常連客が多いようで、おしゃれに装飾された店内もメニューの内容もそういった年齢層に合わせているようだ。そういう女性方は皆「日本食をおしゃれに食べたい」人たちらしく、優雅な容姿の方々でヘビー級の人はまずお目にかかれない。そういうお客さんへの対応なのか、食事は見た目はきれいだが量がかなり少ない。前途のかき揚げてんぷらはどんぶりのご飯の上に乗っているが、ご飯の量は茶碗で半杯くらい、小さいエビ3、4個、野菜少々でご飯がちょうど隠れるくらいと言った感じだ。カレーライスは毎回ヴァリエーションがあり、ひき肉を使っているときもある。

金曜日は人気メニューという和風ハンバーグが出る。手のひらサイズが2つにお茶碗にごく軽くご飯が一杯、少々のサラダで6ユーロほど。味付けはしょうがにうす甘醤油という、日本で一般的なもの。柔らかく焼かれているのはいいが、合い挽きの肉に生焼けはちょっと残念なところ。

量が少ない、というのは劇場のすぐ近くのオーストリア人学生3人が共同経営している「Kaffeehaus」でも同じで、驚くほどのミニサイズの料理に立派な値段がついてくる。食べ終わるのに2分とかからないという量は間違いではないかと思うくらいだ。何年ぶりかに再会したオーストリアのビール「Zipfer」も見たことのないような200ccのビンに3ユーロというので驚かされた。

量で満足できずその店を避けるようになるのは、自分の恥ずべき性分であるかもしれないが、とりあえず「パウロのカステラ」ではそういう理由で常連客が離れていく感じはなさそうな人気ぶりである。スタッフの方々には、多忙すぎて高いレベルが落ちていくことがないよう、望むばかりである。

2011年3月1日火曜日

細気管支炎

息子はそろそろ生後14ヶ月なるが、ここのところ6度目に発症した中耳炎に重ねて恐れていた細気管支炎にかかり、びっくりさせられたがすぐに何もなかったように元気になって、結果的に大きな心配はいらなかった。
中耳炎はかかるたびに抗生物質を服用したが、繰り返すようだと手術はさけられないという。手術は簡単なものというが全身麻酔であり、常に何らかの感染の可能性があってできればさけたいものだ。

2011年2月3日木曜日

ドン・ジョアキン

エヴォラには数多くの小さなレストランがあるが、たいていはかなりいい加減なもので、普通は満足に食事できない。それでいて一つの料理に10ユーロもとられる。

アレンテージョ州の中心都市エヴォラでは、さすがにそこの伝統料理を食べるべきであって、旅行者向けのレストランはどこも同じようなメニューを出している。豚、アサリとフライポテトが合体した「アレンテージョ風豚肉(直訳」、アスパラガス入りの「ミガス(残りのパンをニンニクとブイヨンに浸して、卵と混ぜて蒸して固めたもの、オーストリア風にいえばTaschenknoedlのようなもの)」はどこにも必ずある。はっきり言って、あまりおいしいものではない。

そういう街の中で、ドン・ジョアキンDom Joaquimという、普通の店とは一線を引く、かなりまともなレストランをみつけた。3年ほど前、ヨメとたまたま入って「黒豚のヒレ肉とオレンジ」と言うのを食べて、かなり感激した。黒豚はイベリア半島が産地で、普通の豚に比べて脂分がかなり多く、味は非常にコクがある。そのプロシュート、生ハムは非常においしいものだ。
またスペインではそのヒレ肉を血もしたたる半生で食べたりするのだが、「ドン・ジョアキン」では前述の「ミガス」を包むようにしてオーブンで焼いており、創作料理ながらアレンテージョのアイデンティティを前面に出した、おいしいものであった。いつかまた行きたい、と思ってはいたが、あまり短時間で食べられるところではなく、食事が終わるころにはシェフのジョアキンさんがじきじきテーブルを回って常連さんと会話をされるくらいのところだから、レストランの内装にも、食器にも、アぺリティーヴォにもすべてジョアキンシェフの強い心意気が感じられる。ここではゆったりとリラックスして食べるべきであって、大学の休み時間を利用できるところではない。

今回、連日の仕事があってエヴォラに泊ることになったのでその日の夕食は久しぶりに「ドン・ジョアキン」で存分に楽しむことにした。
値段は、普段の2,3倍は計算しておくべきだが、料理は普段お目にかかれる物ではなく、それでも13,4ユーロとそんなにものすごく高いものでもない。量もかなり多く、普通は1品を2人で食べてちょうどいいくらいである。
アぺリティーヴォも初めから3,4種類出てきて、おいしいパンも付いてくるのでそういうものを食べているとお値段も方もどんどん上がって普段の3倍になってくる。
ワインのメニューもアレンテージョ色を出した、充実したものだ。

今回は「本日のお薦め」に黒豚のヒレがあったので、また頼むことにした。今回はオレンジでなく、ソースは蜂蜜、それにミントのリゾットが付いてくる。ご飯にミントの葉を混ぜるのは自分も家で何度がつくってそれにトルコ風にレモンまでかけてみたりしてさっぱりした感じになるが、ジョアキン氏のはミントを混ぜただけのアルデンテのかなりシンプルなもの。残念だったのは、ソースがかかった黒豚のヒレ肉と同じお皿に飾られて、食べていくうちにご飯は蜂蜜ソースに混ざってしまうありさまだった。

黒豚は今回はミガスは包まれておらず、3センチほど分厚く切られており、深い茶色のソースとも見事にマッチした、シンプルにおいしいものだった。それが5切れほどあった。ソースもおいしく、最後はパンですくっていただいた。そうやってお皿を磨くようにするのはソースがおいしかった、という表現にもなりうるのだが、ここポルトガルではイタリアやフランスでは普通のこともあまり上品なものではないという。

デザートにはやはりジョアキン氏の創作でウィーンの「Nusstorte」に似ていて、スポンジとナッツクリームと交互に何段重ねになっているもの。ジョアキン氏はさらにクリーム部分に卵黄クリームを使い、それもアレンテージョ特有のものであるから、この「Nusstorte」もアレンテージョのアイデンティティを忘れさせない。こういったアイディアには大いに好感が持てる。

そのケーキにはシェフ創作のアイスをつけてもらった。蜂蜜とオリーブオイルのアイスということで、これも独特でなかなかおいしかった。ただ、ところどころ氷のうすい層があって、「ガリッ」と噛みつぶすことになる。昔知り合ったフランス料理のシェフが話していたが、アイスというものは手間のかかるもので、毎日残りを火にかけて一度溶かしてまたアイスにしないといけない、そうしないとどうしても氷の層ができる、と。

ウェイターのサービスも応対も良く、ワインやデザートはそのウェイターに選んでもらった。結果的に今回のメニューは蜂蜜ソースの黒豚に蜂蜜入りのケーキ、蜂蜜アイスということになり、偶然だったが見事なラインになった。

エヴォラに行く、という人たちには、必ずドン・ジョアキンのことを話す。ただ旅行者にはゆったりしすぎて日帰りの人には向かないかもしれない。自分にとっては、いつでも戻ってきたいレストランの一つだ。