2010年11月18日木曜日

「ペイント ミー」

ここ1ヶ月前からアシスタントコンダクターとしてかかわっている、ティノコ氏作曲の新作オペラ「Paint me」ではいくつかの未経験の事実がある。
ひとつは、出演する6人の歌手、指揮者までが全員自分より年下ということ。今まで、どんな劇場のオペラ制作でも自分はチームで舞台監督のアシスタントやソプラノ歌手と並んでいつも一番若いか、ということでいつも仲間から優しく扱ってもらっていた。それが当然年月もたったせいもあるが、一気に中間を通り越して一番年配の方になってしまった。
もうひとつはこのプロダクションにかかわっている人が一人をのぞいて作曲家以下同じ国籍ということ。今まで20か30かもしれない数のオペラ制作にかかわってきたが、いつもインターナショナルの顔ぶれで、そういうのになれてしまっている自分には本当に珍しいことだ。
あと、舞台稽古にオペラの作曲者が同席しているという状態も、そういえば今まで経験したことがなかった。
そういう初物ばかりで戸惑う未熟な自分には「アシスタント」という肩書きが本当にぴったりである。

2010年10月14日木曜日

常識の違い

もともと、あの三船敏郎も出演しているアメリカシリーズドラマ「将軍」からの知識だが、その昔ヨーロッパでは同じ服を何カ月も着続け、めったにはいらないお風呂もその服を着たままであったという。主人公のイギリス人は到着先の日本でお風呂に入れられるシーンで「病気になってしまう」と言って阻んでいた。「日本人は清潔好きだ」というのはマルコ・ポーロも書いた。

この現代社会でも一週間に1,2度しかお風呂に入らない人がいる、というのはこちらヨーロッパで生活している人ならときどき耳にすることだ。生粋のヨーロッパ人であるヨメはその話になるといつも「自分たちの家族は曾祖父母の代から日に2度お風呂に入っていた」と言う。

習慣も人それぞれ、ということになるがつい先日、息子の預け先の保育園でどうしてもわかってもらえない一件があって、この「将軍」でのエピソードを思いだした。

息子は朝早く保育園に送り出すが、夕方6時に迎えに行く際いつも預けた時と同じ服を着ている。何度も送迎係のヨメにお昼寝の後は着替えをしてもらうように頼んでもらったのだが、依然として同じ服で帰ってくる。一カ月してから父親の自分がその件だけのために直接出向いて話したところ、しばらくはしぶしぶ着替えてもらえるようになった。

先週は息子の調子が悪く、せき込んで朝から熱があったりして毎日保育園に行くか行かないか決めかねないという、その状態の赤ちゃんがまた同じ服で帰ってきた。朝は肌寒く、昼間は暑いというこの時期である。理由をきくと、「着替える際に肌が風に当たって良くない」という。病気にならないために同じ服を着続けるという理屈は先の16世紀のヨーロッパ人と変わらないではないか。

赤ちゃんには一日に何度も着替させてあげるというのは「淋浴」という常識ではなかったか。しかし何人のポルトガル人の友人に聞いてみるとそういう習慣はないという。当然保育園では話が通じなかったわけだ。保育園で怒る父親はさぞかし非常識に見えただろう。

2010年10月6日水曜日

ドンナ・ブランカ

サオ・カルロス劇場のシーズン最初の演目はアルフレード・カイル作曲のオペラ「ドンナ・ブランカ」であった。せっかくのポルトガルの誇る大作のお披露目の機会だが、今回はコンサート形式での上演だった。経費削除の真っただ中でのシーズンの開幕である。

今年は皇帝が暗殺され国政が民主主義化した100周年に当たり、10月5日はその祝日であるので、現国歌の作曲者であるアルフレード・カイルのオペラを上演するにはちょうどいい機会であった。

作曲者はケイルと呼ぶのかもしれないが、明らかにドイツ系の名前で、それに加えてポルトガル人の「えい」の発音は限りなく「あい」に近く個人的にはカイルと聞こえる。後期ロマン派の作曲家だ。

オペラの大半はマエストーゾのコラール風、または行進曲風に終始する。当時はやった異文化趣味的な音楽は全く見られない。物語の進行は分厚いオーケストレーションでの減7和音の伴奏によってレチタティーヴォがずらりと続く。話は13世紀のポルトガル南部、アルガルヴェでのもので、ドラマティック・テノールの役のアラブの王様と恋に落ちるお姫様の話である。主人公のブランカはソプラノ・リリコで、ちょうどミミやリュウといった感じである。

オーケストラは3管、トランペットやトロンボーンは4本持つ大きなものである。吹奏楽の部分がかなり強調されたオーケストレーションで、金管も楽想の重要な部分を受け持ち、かなりの時間に活躍する。分厚いオーケストレーションはまるでワーグナーのようだが、バレーも入るのでフランスオペラに分類されるのかもしれない。ただマスネはこのようにとんでもなく分厚くは書かなかった。
吹奏楽で編成される舞台裏オケは今回は観客席の奥の、いわゆる「大統領ロジェ」に配置された。

テキストはイタリア語で歌われた。スコアにはフランス語のテキストもあるのだが、書かれたリズムはイタリア語にあまりしっくりいかず、比べてみると本来フランス語のテキストで書かれたのではと気になって仕方がなかった。ポルトガル語のは存在しない。

音楽のアイディアそのものは素晴らしく、ところどころポルトガルのにおいを感じられる。15分ほどの「アラーは偉大なり」が繰り返される壮大な合唱のナンバーも登場する。よくある異文化を茶化した音楽ではなく、かなりしっかり正統的に書かれている。

テロの脅威の今の情勢の中、こういう「アラーへの讃歌」ものは少し配慮も必要と思うが、ここ極西南ヨーロッパに位置するポルトガルではどうでもいいのかもしれない。

本来4時間ほどかかる超大作は今回は2時間30分の音楽に縮小され、規模的に中小オペラのようになってしまった。バレー音楽は当然全部削除された。アリアも少しずつカットされ、場合によっては始めと終わりだけ、という大まかな縮小もあった。演出なしの上演にも配慮してか、今回の指揮者の先生はスコア指定よりかなり早めのテンポ設定に終始された。もともとべったりと重たい音楽で、それでも演奏者側には永遠に感じられた。

ブランカ役のソプラノは声の質的にかなりいいものを見せていたが、頻繁に出てくるカデンツァは必ずと言っていいほど正しい音が取れていなく、テノールは声が軽いのにまして明らかに勉強不足で、大統領ロジェの吹奏楽隊はオケとの音響的な問題を解決できないままで終わった。楽譜のほうは、今回の上演に当たって改訂版が新たに作られたが、それもまだところどころプリントミスがあり上演後に訂正していくという事態になってしまった。

リハーサルはとにかくスケジュール上全く配慮されていなく、ぶっつけ本番になってしまった部分も少なからずあった。これもあの前監督によって残された負の財産なのであろうか。個人的にはこういったとほほな部分は自分の手が届く範囲外で、ただ傍観するのみという立場である。今のところ、この仕事は少なからず我慢が必要である。

お客さんの反応や新聞状の批評はすこぶる良いもので、とりあえずめでたしめでたし、という今シーズンの船出になった。

2010年9月24日金曜日

二重生活

二重生活といっても、仕事上の話である。

イチローのような一流の人は、一つのことを突き詰めて、向上心を常に持って「名人」の域に達する。

そうでない人は同時期に2つ以上のことをこなそうとする。器用貧乏、という言葉があるものの、器用さを利用してできることをなんでもしてしまえばいいのではないか。

2つの仕事が同じ時期に入ったとき、選択肢は3つある。2つとも断ることは今のことろまずないだろうが、良心に従ってもう一つの仕事を断るということはある。しかし時間的に不可能でなかったら、もしできそうな気がしたら掛持ってしまえ、となる。

誰にも迷惑はかけたくないが、どうしても両立に無理が出てくる。それでも、あまり時間がなく常に次に目的先がある人物であるというのは別に悪いことではないと思っている。

所属する団体の自分の立場というのは居る場所によって変わってくる。そういうところや、スケジュール上での無理も、ラテン風になんとなくのらりくらりやっていくことになる。

新シーズンが始まるまえ、ポルト方面で2つ全く別の仕事を同時期に済ませることにした。
ひとつはエヴォラ大学の同僚で友人のアルゼンチン出身のファゴット奏者、エドゥとの新レパートリーのCD録音。そこでは自分はピアニストである。

もうひとつの仕事は、ポルトの軍隊吹奏楽団とわがジナジオ・オペラ交響楽団との先日無事に終わった共同演奏会、そのためのリハーサルをポルトで行うことになっていた。

軍隊吹奏楽のリハーサルは午前中に行い、午後から夜中までスタジオ録音ということにしてもらった。録音の仕事は決定権が自分にあったオーケストラリハーサルと違いスケジュールを立てる立場ではなかったこともあって、仕事はいつまでたっても終わりそうになかった。

スタジオ録音は慣れていない自分にはとても難しい。とにかく演奏する状態が普段と全く違う。慣れ切っている残響はほぼゼロの状態になっている。ピアノとファゴットの音も別のマイクで集音されるので両楽器の間に消音壁が置かれ、演奏者間も10メートルくらいの間隔がある。目隠ししてランニングしているような感じだったが、そういうのも徐々に慣れてきた。必要以上に外に鳴らさず楽器の中だけ響かすようにすること、共演者や周りのことは気にせずとにかく真っすぐ突き進む、というのがこのようなスタジオ録音時の演奏の仕方かもしれない。普段からそうして演奏する人にはたやすいことだろう。

さて、今年に入って初めてのわがジナジオ・オーケストラの演奏会は、トマールという美しい都市であった。今回は数少ないリハーサルでも指揮者として手ごたえある成果があったが、実際客席からの印象はどのようだったのだろうか。拍手はたくさんもらったが、手厳しい指摘はいつでももらいたいものだ。
野外コンサートで音響的には恵まれなかったが、オケの人たちが作り上げた響きそのものはとてもいいものだったと思う。
リハーサル、演奏会を通じて積極的に仕事してもらった軍隊吹奏楽の方々は立派な音楽家だと思う。感謝の気持ちでいっぱいだ。

さて日々の生活のほうだが、劇場の仕事は天敵だった劇場のトップが運よく去ったので、ここ2年の立場的に不安定な状況は終わったようだ。願わくば安心して仕事ができる環境下であってほしい。
とにかく、これでこの先ドイツの小劇場に最低条件の仕事場をネット上で探す、をいうみじめな作業はしなくて良くなりそうだ。

そのせっかくの劇場の仕事だが、新しいシーズンが始まって早々8週間の間無給休暇を取ることになった。
新作オペラのプロダクションの上演がクリスマス時期にあり、それに副指揮者としてかかわることになった。新作オペラは自分にとって初めての経験だが、「現代もの」は学生時代、十八番だったはずだ。自信を持って取り組まないといけない。

大学の仕事は時間的に無理を承知でこのまま続けることにした。学生に接している自分の役割や仕事そのものが劇場のそれと違う。大学では別に大した仕事をしているわけではないが、ふと没頭して時間が経つのを忘れた感覚に陥る。

この人生、結局一つのことを天才的に成し遂げるのは無理そうだと思うので、それなら自分にできる範囲ことをなんでもするまでである。

2010年8月30日月曜日

中華ショップでの買い物

点心料理はリスボンにはないのかなとふと思い検索してみたら、市内に一軒「香港大パレス」という名のレストランが出しているそうで一度行ってみたいと思っている。

ウィーンでは「点心」が当然一昔前のことだが、かなりはやっていて何度かおいしくいただいた。冷凍物でない、本物を出す店が何軒かあって、そういうところにわざわざ通った。点心の技術は難しいらしく、中国から専門の人を呼ぶらしい。腕のいい人はライバル店に引き抜かれ、新たな人材が次々やってくる。はやった店は第2店を別なところに出す。そういう豆知識はウィーンに何年もいる「人生の先輩」からありがたく頂戴した。

冷凍の点心料理はリスボン市内の中華ショップで安くで手に入る。種類はいろいろあるが、ベトナム産の30個ほど入っていて5ユーロというのを買ってみた。ややエビか何かのにおいが変で、本当はもっとおいしいはずだ、と思いながら食べるもの。

中華ショップといえばリスボンにいろいろなところにありそうだが、いつも行くところはマルティン・モニシュ区というリスボンのほぼ中心にある、中規模のスーパーのようなところだ。

近くにはアフリカ諸国・インド・中国籍の店が無序列に立ち並んでおり、通りには座ったり、立ち話したり、もしく別に何もしていないという人がたくさんいて、不思議な香辛料のにおいとともに区画全体に異様な雰囲気を醸し出している。自分のような異国人の男に怖いものはネオナチや極右警察官くらいだが、本国人がそこを普通に歩いて通過するにもなかなかの勇気がいる。近くの地下のパーキングエリアは取ってつけたようにすごく暗い。サングラスをかけたままで駐車場に入るとほとんど何も見えない。

アジア食品専門のお店の入り口には求人広告やら、の張り紙が漢字で書かれている。店内にはお米10キロとか、醤油20リットルとかのように大きい単位でたくさん売っているので中華料理店の人が買いに来る、本格的なところなのかもしれない。1ユーロで出来立てのおいしい肉まんをよく出しているので、帰り際に食べるときがある。誰がどのように作っているのか想像できないが、別に知らないくていいのかもしれない。そのほか、まず買うことのない豚や鳥の足の燻製のようなものも売っている。一度北京ダックがあったので試したことがある。だいぶん乾燥していて、味はかなり人工的でいまいちだった。

あと普通のスーパーではお目にかからない野菜が多くある。もやしは大きく、新鮮で一袋80セントで買える。大根は大きすぎるくらい立派だ。巨大ななつかしい20世紀ナシも売っていたことがある。豆腐はいろいろ種類があって、木綿豆腐だったかヨーロッパでは手に入りにくいやわらかいものも売っている。揚げ豆腐も売っていて、どのように使うのかさいころ型のものが多かった。いなりずしを作れるような大きなものがあったら買っていたが、なかった。

あとどういう名なのか、薄い紫色で、細長い茄子がある。それが20本くらい入っているのが2ユーロで買える。買うときは1週間はなす料理になる。巨大な緑色の瓜のようなものもあって、輪切りにして売っていた。どういう人が買うのだろうか。チャイナレストランではお目にかからない野菜だ。

「にがうり」もあった。もしかして、沖縄のゴーヤと呼ばれているのかもしれない。早速買って、インターネットでレシピを見ながら調理して食べてみたが、それは苦くて2,3口食べただけでやめてしまった。そういえば、苦いという味覚は存在するのにおいしいと感じたことはない。中国の人たちはどのようにして食べるのだろうか。

めん類もたくさん種類があり、どうやって調理するのかわからないもののほうが多いくらいだ。結局いつも買うのは「日本式北海道うどん」という、4袋入りで1,2ユーロのものだ。「Nittin」という中国のメーカーで、日清のパクリか。Made in Japanとまで書いてある。この賞味期限が2010年の終わりとあって、生めんが常温でこれだけ持つのはかなり不思議だが、それでもうどん食べたさに買ってしまう。
開封すると食べ物のにおいがしない。プラスティックのようなにおいがする。作り方はそのままスープに入れるとあるが、少し怖いので一度沸騰したお湯に通す。どういう小麦粉を使っているのかと疑うくらいうどんの味がしない。ただ、歯ごたえはまさしくうどんそのものである。

中国の人たちが健康上の理由から買わない中国産品があると聞いたことがあるが、こう品が並んでいるのどの製品が信用あるのか本当にわからない。疑いがあるのなら買わなければいいのだが、今まで食べて気分が悪くなったことはないので続けて買ってしまう。

レジのおばちゃんにはいつまでたっても顔を覚えてもらえない。支払いの際はお互い無言だが、こちらからもポルトガル語をつい口にしないようにしている。心のどこかでまた中国人と間違えてもらいたいと思っているのかもしれない。

2010年8月4日水曜日

小児心臓外科の診察

息子の術後診察がようやく2か月遅れであった。サンタクルス病院の院長さんになってますます多忙になったドットール・ルイ・アンジョス先生に久しぶりに顔を見てもらって親として感無量だった。

心臓の状態は上々で、血液の逆流もなし、大動脈の状態もよし、エコ心電図での16部分の診察ですべて最高点がでた。テスト点数でいえば100点である。手術後のいろいろ起こりうる問題点は今のところ全てクリアしているようである。心室中隔欠損はわずかなすきまで、後に自然に閉じる可能性が大きいという。

先生からこれから大きな心配なく、スポーツでもなんでも他の子と同じようにやっていい、とのうれしい言葉を頂けた。
あれだけ元気でいつもご機嫌の子供の様子を見ていると、何かよくないわけはないと思っていたが、実際お墨付きを頂いて夫婦ともどもかなり晴れた気分になった。術後の初診察というのは、息子のこれからの人生の裁判のようで、心のどこかに潜んでいた悩みの種だったのかもしれない。
これからの診察は一年おきだが、自らの足で歩くようになっても、大きくなって一人で診察に来るようになってもずっと今回のような模範的患者のままでいてほしい。

2010年7月15日木曜日

エストリル・マンダリン

「マンダリン」は楽器のことでもバルトークの曲名でもなく、実はエストリル市の巨大なカジノの建物内にある中華料理店の名前である。以前からマカオの本場料理を出すといううわさは聞いていて、カジノ内にあるということからあまりに恐れ多くこれまで近づいたことはなかった。最近になって値段は意外にそう高くはないと話に聞いたのでさっそく行ってきた。

中華レストランといえば、言わずと知れたファーストフードの店として世界どこに行っても大体同じものを食べられる。安く、早く、そして野菜を多く食べられることもあって、学生時代はマクドナルドと並んで結構お世話になった。ひとむかし、鉄のカーテン時代のブダペスト旅行では、どこでまともな食事できるのか分からず結局中華で何度も済ませてしまったが、チャイナレストランはそういう非常時に使える便利さを兼ね持っており、マクドナルドも同じである。ただ、日本と違ってヨーロッパで本当の中華料理を食べたい、と思うとなかなかいいレストランにめぐりあわない。確かウィーン市内にも高級中華レストランはあったように思うが、高いお金を出してまで食べたいとも思わず、一度も行ったことはなかった。

さて、「マンダリン」では入ってすぐ予約受付専門のお嬢さまが店内に案内してくれる。そのポルトガル人の女性はまさにその容姿も笑顔も、そこらではまずお目にかけられないような応対ぶりで、レストランの内装や雰囲気と合わせて5つ星ホテルのサービスを思わせる。ポルトガル最大のカジノの中ということを意識させられる。
レストラン内はかなり大きく、そしてお客が多いのも最近の中華レストランではめったにない風景だ。大きな窓からはカジノ前の公園のカラフルな噴水ショーを鑑賞できる。照明は薄暗いが、あちこちに飾り物や食器や大きなつぼなどが上品に陳列されている。床は全面じゅうたんがひかれており、よって室内はかなり静かだ。
メニューには70ユーロもするスープや100ユーロの魚料理もあったりするが、13,4ユーロくらいの料理が多いので、たいていそれらから注文すると値段は普通の中華の2、3倍といったところになるか。

結局特別なものを注文することなく、マーボー豆腐や揚げめん、エビのピリ辛といったいつも食べるようなメニューになってしまったが、料理は繊細ですべてゆっくりおいしくいただけた。味も、色も香りも申し分ない。つくづく、今まで食べた中華で最高の部類だと感じた。杏仁豆腐は残念ながらなかった。

食事が終わって外に出ると、必然的に駐車場に向かうべくカジノ前の公園内を散策することになる。それがまた、さわやかな浜辺の風に当たりながら心地いいもので、まさにメニューにない「マンダリンの夜の後奏曲」のサービスである。