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2013年10月31日木曜日

Cappello di paglia + la fille du régiment

さて、我がサオ・カルロス劇場では、夏休み明けから上記の2題目の上演があった。
一つ目のオペラ、麦わら帽子と訳すのだろうか、ニーノ・ロッタのオペレッタ風の作品である。
あくまで古典的な作風ながら、軽いタッチで書かれたオペラで、聴きやすい、一般聴衆の受けがいい演目ではないだろうか。
2つ目は、言わずと知れた巨匠ドニゼッティのオペラで、連帯の娘と訳される、あのパヴァロッティが何度も出てくる高音のドを見事に歌ったことで知られているはずだ。
いづれにしても、国全体の財政が破綻している状態で、存続すら危ぶまれている中での上演である。不評の場合は閉鎖、ということにはまさかなるまいが、
上演する側にはそれくらいの覚悟でやるべきだろう。
そういう中、来年から、ピナモンティ氏が劇場監督として復帰することになった。
彼は、何を隠そう自分がサオ・カルロス劇場に呼ばれ赴任することになった、張本人である。
2004年、電話で何度も話をし交渉をした。交渉と言っても、自分にとっては本当に契約できるのかの確認のみであったことを思い出す。
実際仕事が始まると、自分にコンサートの指揮のような大きな仕事は与えられなかった。さて、今回はどうなるのであろうか。
今まで通り、スタッフの一員としての仕事が続くのか、より大きな仕事が回ってくるのだろうか、それとももしかして。。。

2010年4月21日水曜日

フィガロ

先日のチャンピオンリーグで決勝に進んだインテル・ミラノ。もうだいぶん前から指摘されてきたことだが、チームにはイタリア人がほとんどいない。今年好調のベンフィカのチームも、同じように南米出身選手を中心にした世界選抜チームで、それでも観客は自分たちのチームとして根強く応援する。
いつもどこかおかしいと感じているが、こういう傾向は年々ヨーロッパ中に広まり、どこの国でもそういうチームがある。

18世紀から続くサオ・カルロス劇場では今、歌手の質や演出もドイツの中小劇場とほぼ変わらないが、こういうのでいいのだろうか。ポルトガル人歌手の起用の必要性はいつも言われてきて、解雇されたダンマン元監督も必ずその話を出していたが、それだけでいいのだろうか。

新作の「フィガロの結婚」は旧東ドイツのエルフルト劇場の製作。ポルトガル人のいつもの歌手たちは出演するが、演出がドイツ産まれの「Regietheater」そのもので、例えば最初の場面ではフィガロがイケアの家具を組み立てていた。そういうものをここリスボンでわざわざ観る必要なし。

2010年3月26日金曜日

クリストフ・ダンマン

現役ピアニストだという文化大臣、ガブリエラ・カナヴィリャスによって、わがサオ・カルロス劇場の芸術監督、クリストフ・ダンマン氏の退任、実質的な即解雇が決定的になった。ラジオのインタビューでは4月末には後任者の名前が発表できるという。「芸術的方向と劇場の運営方法がポルトガル国民の趣味に全くあっておらず、批評家、観客、そして劇場運営にかかわっている人たちの期待に全く答えられていないことはますます明確化してきている」という理由を述べた。

聴衆の目線からいえば文化大臣の、勇気ある良い決断だったと言える。オペラの上演や、シンフォニーコンサートは確かに観客は入っていても、演目が乏しくスター歌手も不在で、とにかく新聞紙上での批評が酷なものが多かった。その内容は最近怒りに満ちたものに変わってきていて、露骨に氏の退任を求めているものもあった。劇場の人件費をできるだけ抑え、できるだけ多くの公演をできるだけ多くの観客に見てもらうという、シンプルな彼の哲学は、結果として上演の質を落としてしまったようで、耳の肥えた人たちには全く受け入れられなかった。

ダンマン氏は、実際話すと常に笑顔を絶やさず、誰にでもさわやかな印象をあたえる。最近は彼自身の方針からか、ドイツ語や英語ではなく常にポルトガル語での会話を欲した。彼はドイツ人としか彼の母国語で会話をしない。何度か話す機会を持ってもらったが、残念ながらそういう親切そうな人でも、自分にとって味方の人ではなかった。劇場での仕事上のわずかな希望は全て無視された。氏の劇場の芸術的運営から完全に構想外だったようで、いつもうまくかわされ、仕事はピアノ伴奏者としてのみ、指揮するなんて冗談でもない、といった感じだった。明確な理由は言ってもらえなかった。よって、あと2,3年いるはずだった芸術監督の退任は自分にとっていいニュースのはずである。