李清という、グラーツ国立音大のピアノ科教授は小遣い稼ぎにとどまらず、一つの会社を設立までしてしてピアノレッスンというものを最大限にビジネスに拡大した人がいる。名前からして神秘的だが、日本生まれ、日本育ちの日本人ハーフである。戦後に帰国した生みの父親が韓国人だ。音大の教授の職につく際にオーストリア国籍を取得している。
李氏は人の才能を伸ばす先生ではなく、弟子から世界的ピアニストが育った実績は皆無だ。李氏自身もピアノが下手な人ではない。ただ、家に閉じこもって自らの芸術に没頭する人でもなく、そうかと言ってエージェンシーがついて一回の演奏会で5千ユーロで招待を受けるような実力派でもない。それでも、「オーストリア国立大学」教授という肩書きを生かし、年に5,6度も来日し生徒の確保に務め、挙げ句の果てには毎回個人リサイタルをもこなしていた人だ。
いうまでもなく、オーストリア国立音大の教授というのは終身雇用であり、かなりのスキャンダルを起こさない限り職を失うことはない。生徒数を毎年確保する必要があるが、日本から留学を勧めて連れてくれば数に困ることはない。
それどころか、今も昔も日本から留学希望の学生は後を絶たず、100万円くらいで2週間の講習会を本場ウィーンで受けるという夢を持っている人はいくらでもいた。李先生はパン・ムジカという企画会社を通じてヨーロッパ旅行兼マスタークラスという企画を成功させていた。少なくとも半分以上は純利益のはずで、年に2度ほど開催していたからかなりの美味しいビジネスになっていた。
自分はこの先生のもとにウィーン留学をお願いすることになった。先生はビジネスであればなんでもする人なので、少々の身の回りの世話、借家とレンタルピアノの手配と銀行口座の開設くらいのことは快く引き受けてくださった。自分はもともと指揮科志望であって、先生のクラスへグラーツに行くつもりはなかった。自分の親は、その世話のために20万円という金額を寄付という形で差し上げているはずである。
ウィーンではさらに彼の個人ピアノレッスンを受けないといけなかった。一回1000シリングである。先生はじきに音大の指揮科のエーステライヒャー教授を紹介すると約束してくれていたが、数ヶ月のちあと2年間続けて個人レッスンを受けるようにと言われ、それではやめたいと申し出ると「もうこれで僕に世話になることはないからな」と手を切られてしまった。
当時16歳であったが、文字通り右も左も分からない無防備な少年には実際確かなアドヴァイザーが必要であった。その後ウィーン市立音楽院のピアノ科に入学できたのは2年後になってしまったが、それまで苦い経験をして自分自身と人生そのものを防御するという能力をつけていかないといけなかった。今振り返ると危険な橋を渡ってきたものである。
先生という身分で生徒を取るときは、ビジネスだけを考えるべきではない。李先生は現在何をされているかわからないが、かなり痛い思いをしてもらいたいというのが素直な思いだ。