2011年9月18日日曜日

アデノイドとチューブ留置の手術

中耳炎が慢性的になっていた息子の耳の手術がついにおこなわれた。予定通り、寒くなりインフルエンザがはやる時期になる前の手術である。また全身麻酔だ。
予定というが、最初診察を受け手術の話になっていたサンタマリア病院では、担当の医師の感じからあまり信頼感が得られず、セカンドオピニオンとして平行して診察を受けていたドットール・ザガロ先生に、所属する私立のルジーアダ病院を通じてお願いすることにした。
私立病院ということもあって応対はホテルのようであり、個室もそもそも車いすで容易に通れるようになっているのでかなり広い。幼児の付き添いということでヨメだけが一緒に泊まることになったが、部屋にあるソファは簡易ベットにもありその準備もスタッフにしてもらった。
もともと病院での息子の付き添いという面ではもう経験がある夫婦二人である。自分の頭の中では旅行者のように以前の病院との比較をしていた。
肝心の手術の方は前のTGAのとは天と地の違いがあるが、ベットに乗せられた息子を送り出すシーンは頭の中の深いところに刻み込まれているスイッチ手術のときのイメージと全く同じであった。そもそも父親である自分は手術に立ち会う訳でなく、ただ外で待っているだけなので悲惨な気分は同じであった。
手術は簡単なものという、鼓膜のチューブ留置とアデノイド除去である。
手術は無事に終わり、呼ばれて対面してみると息子は泣いて叫んでいてかなり気分が悪いらしい。鼻血も出しているし、咳も止まらない。アデノイドがない咳は音が違い、もっと枯れた響きがする。わんわんや飛行機だなどとうそついて気を散らそうとしたら、聞こえるらしく目を開けて反応して、そのうちこくんを眠りについてしまった。
その日やその次の日の息子は予備知識にあったように機嫌が悪く、その割に常にだっこを要求された。術後の経過も良いようで、これからの生活面での注意点や次の診察のことなども先生自らやってきてくれて話をしてくれた。
夜中の「悪魔の時間」の咳き込みはあったりなかったりで手術の効果はまだわからない。中耳炎のこともこれでよし、という訳ではなく改善される効果もで50%くらいの確率という。

2011年9月11日日曜日

フェスタ ド アヴァンテ 2011

2度目の「フェスタ」のオープニングコンサート、オペラガラコンサートは一言で済ませば、誰もから認められた最上の出来だった。細かく舞台裏の出来事を書こうとすると、いつまでたっても終わらない気がする。

今のところ、指揮をする機会は年2、3のペースなので次回いつそういうチャンスがあるかわからないが、指揮そのものの仕事は相変わらずやっていて楽しいと思った。

音楽以外の部分、実際のリハーサルなどではないそれ以外での人とのコムニケーション、政治的な役割、などでの負担は大きく、企画の段階でなかなか思い通りにいかずなぜ自分がこのコンサートを指揮しないといけないのか自問していた。今回の仕事は6月から始めたので3ヶ月間、いろんな人と賛同しながら仕事を進めるのはかなり大変だった。

今回指揮そのものがうまくいかないようならもう指揮というものは金輪際やめようと決めていた。それより、途中でもうやめようとも何度も思った。

今回のような2万人を前にしたコンサートでは何人もの人が仕切りたがる。自分もそのうちの一人だったのだが、そのような人たちとは衝突なしては会話できず、最終的には妥協した形になった。自分がマネージャーとして今回の仕事のために連れてきた人も最初は協力的だったがそのうち逆に恨まれてるようにまで関係が悪化してしまい、思うように動いてもらえなかった。

コンサートは一目では華やかに見えて、舞台裏で何が起こっているか知っている人はごくわずか。自分に求心力がないせいで、何もかもに妥協したようになった、コンサートで指揮する自分の姿は舞台で踊らせられるマリオネットのように感じて屈辱的な気分にまでなった。

新聞に批評がでた。何もかもほめてもらった。かといって、これからの指揮の活動が活発になる訳でも全くないし、自分には笑みはあまりない。

指揮そのものより、それ以前、それ以外の克服すべきハードルが高く、自分自身の無力さを大いに感じさせられる今回の仕事だった。