2010年2月21日日曜日

リスボンのこうもり

我がサオ・カルロス劇場は来週の水曜日に新制作のオペレッタ「こうもり」の初日をひかえている。プレ・総練習を拝見させてもらったが、残念ながらさびしい出来だ。自分の仕事場の批判は当然タブーだが、この個人的なミニ・ブログ上で何も書いてはいけないだろうか。そもそも批判ではなく、ニュートラルな一批評家になったつもりで書く。

オペレッタ「こうもり」は別に動物のコウモリが主人公なわけではない。言わずと知れた、役者の一人であるファルケがひょんなことから「こうもり博士」と呼ばれていることから来る題名だが、サオ・カルロス劇場では最初にこうもりの模型が飛んで出てきた。原作ではもちろんウィーンにあるはずの宮殿にはフランケンシュタインや、吸血魔その他の子供だましの変装化け物がおり、当然こうもりも出てくるわけだ。そういう背景だったら、必然的にトランシルヴァニアという地名を連想させる。そういえば、自分の指揮の先生もその地方出身の人だった。でもここリスボンの劇場ではそんなことどうでもいいらしい。

この作品を全く知らないひとは題名から動物コウモリを想像するわけで、なるほど、演出家もそこから入って行ったわけだ。しかし本当の内容は動物園のこうもりとは全く関係がないわけで、それからどう展開する?その解決にはどうやら混沌としたカオスに終始し、ぼかされた感じになった。まず、メゾ・ソプラノが歌う男役のオルロフスキーを変態的な女装した男にしてしまう。しかし実際には本物の女性が歌っているわけで、「女装した男」には全く見えず、普通の変な女性である。「女装した男を演じる女優」は難儀であろう。そんなことなら、オルロフスキーをカウンターテナーに歌わせたりできなかったか。最初のアリアでは、ミニ・ストリップを始める。なぜ?

そして宮殿の中には普通の「オペレッタ・こうもり」に出てくる伝統的衣装を着た合唱団員もいれば、ハイヒールを履いた男性スタティストもいる。深紅のドレスを着た、長い赤髪に超ハイレグを見せた女優(役名はイダだったか?)がその強烈なセクシーさを武器に舞台中を駆け回り大活躍する。あの名曲「チャルダシュ」のアリアではなぜか急にクラシック・バレリーナの格好をした2人の男のダンサーがロザリンデの左右で踊り始める。劇中にはいろいろな「今風の」ダンスや音楽も入り、例のフランス語のハチャメチャ会話では「ラ・メール」の音楽が入る(ドビュッシーのではない)。なんて愉快な。もしそういうものを楽しいと感じない古典的な、というか普通のオペラ愛好家が観客席にいるとすれば、その人たちはどうしたらいいのだろうか。どういう反応をすべきなのだろうか。

ウィーン学生時代が懐かしい。年末大晦日には結構さびしい思いをすることが多く、そういう年には立ち見席で「こうもり」を、正確に言うと「こうもり」を暗譜で指揮している人を見に行った。いい演奏もあれば、そうでない時もあった。シュターツオーパーでは巨匠オットー・シェンクの演出で、3幕のあの口笛の場面では役者として出てくるのを見たこともあった。シェンク氏は、疑いなくオーストリアが誇る天才の一人だろう。

家にはすっかり元気になった息子がおなかをすかせて泣き叫びながら待っているはずなので、あの素晴らしい第2幕のフィナーレを見終えて劇場を後にした。息子が何歳になったら、このオペレッタの大名作「こうもり」を、あらすじを説明しながら見せに連れて行ってあげられるだろうか。

2010年2月6日土曜日

空白の21日

生まれたばかりの息子がようやく病院生活を終え、家に帰ってきた。これから待ちに待った一家族の普通の生活が始まる。誕生から21日経っている。退院時に病名や手術の経過、治療の方法、手術後の容体などをまとめた書類を持たされた。あらためて、この病気の深刻さにびっくりさせられた。

息子の心臓疾患は一般的に完治せず、後遺症や合併症などの可能性がいつでもあり、見事に成功したジャテネ・スイッチ手術も「根治手術」と呼ばれていて、「完治」とは微妙にニュアンスが違っている。これから病院に頻繁に通い、医師団から定められた通りの薬を毎日服用し、同じ病気を持っている人たちからのアドバイスや生き方を参考にして息子を育てていかないといけなくなった。今まで、レールに乗った人生とか、ひとから指定された通りに行動するのが嫌いで逃げてきた自分にとっては何という皮肉だろうか。

大変お世話になったサンタクルス病院には、家から車で10分の距離で当たり前のように自宅から通っていたが、小児心臓外科の他の患者さんらはポルトガル全国各地から送られていることに気がついた。隣にいた女の子の赤ちゃんは300キロ離れたポルトから、違う部屋の男の子は1000キロ以上も離れたアソーレス島から、息子の退院の日にやってきた赤ちゃんはポルトガル最北のブラガンサからわざわざこちらまで来ていた。ヘリコプターで運ばれてきたのだろうか。そういう様子を見ていると、最高の病院で優秀な医師団から即急に手術を受けられたことは幸運だった。感謝しきれない。

いずれにしても、生活は一気に希望に満ちたものになった。様子を見ていると、とても数日前までは生命の危機にあった赤ん坊には見えない。胸にはしっかりと、縦に15センチほどの切開手術の痕があるが、それ以外はいたって普通の元気な赤ちゃんである。生まれてから退院までの日々の出来事は、それまでの生活から全く切り離された、別次元の世界に一気に放りこまれたようだった。しばらく心の片隅にしまっておきたい。