オペレッタ「こうもり」は別に動物のコウモリが主人公なわけではない。言わずと知れた、役者の一人であるファルケがひょんなことから「こうもり博士」と呼ばれていることから来る題名だが、サオ・カルロス劇場では最初にこうもりの模型が飛んで出てきた。原作ではもちろんウィーンにあるはずの宮殿にはフランケンシュタインや、吸血魔その他の子供だましの変装化け物がおり、当然こうもりも出てくるわけだ。そういう背景だったら、必然的にトランシルヴァニアという地名を連想させる。そういえば、自分の指揮の先生もその地方出身の人だった。でもここリスボンの劇場ではそんなことどうでもいいらしい。
この作品を全く知らないひとは題名から動物コウモリを想像するわけで、なるほど、演出家もそこから入って行ったわけだ。しかし本当の内容は動物園のこうもりとは全く関係がないわけで、それからどう展開する?その解決にはどうやら混沌としたカオスに終始し、ぼかされた感じになった。まず、メゾ・ソプラノが歌う男役のオルロフスキーを変態的な女装した男にしてしまう。しかし実際には本物の女性が歌っているわけで、「女装した男」には全く見えず、普通の変な女性である。「女装した男を演じる女優」は難儀であろう。そんなことなら、オルロフスキーをカウンターテナーに歌わせたりできなかったか。最初のアリアでは、ミニ・ストリップを始める。なぜ?
そして宮殿の中には普通の「オペレッタ・こうもり」に出てくる伝統的衣装を着た合唱団員もいれば、ハイヒールを履いた男性スタティストもいる。深紅のドレスを着た、長い赤髪に超ハイレグを見せた女優(役名はイダだったか?)がその強烈なセクシーさを武器に舞台中を駆け回り大活躍する。あの名曲「チャルダシュ」のアリアではなぜか急にクラシック・バレリーナの格好をした2人の男のダンサーがロザリンデの左右で踊り始める。劇中にはいろいろな「今風の」ダンスや音楽も入り、例のフランス語のハチャメチャ会話では「ラ・メール」の音楽が入る(ドビュッシーのではない)。なんて愉快な。もしそういうものを楽しいと感じない古典的な、というか普通のオペラ愛好家が観客席にいるとすれば、その人たちはどうしたらいいのだろうか。どういう反応をすべきなのだろうか。
ウィーン学生時代が懐かしい。年末大晦日には結構さびしい思いをすることが多く、そういう年には立ち見席で「こうもり」を、正確に言うと「こうもり」を暗譜で指揮している人を見に行った。いい演奏もあれば、そうでない時もあった。シュターツオーパーでは巨匠オットー・シェンクの演出で、3幕のあの口笛の場面では役者として出てくるのを見たこともあった。シェンク氏は、疑いなくオーストリアが誇る天才の一人だろう。
家にはすっかり元気になった息子がおなかをすかせて泣き叫びながら待っているはずなので、あの素晴らしい第2幕のフィナーレを見終えて劇場を後にした。息子が何歳になったら、このオペレッタの大名作「こうもり」を、あらすじを説明しながら見せに連れて行ってあげられるだろうか。