2009年8月18日火曜日

べースボール

テレビ&インターネットの契約会社を変えたので、テレビのチャンネルが110に増えた。スポーツ番組を生中継しているアメリカのチャンネルを見つけて、昨日生まれてはじめて、大リーグの生中継を見た。野球そのものを見るのも、本当に久しぶりだった。選手はみな超大型で、どのバッターも、とにかくバットを思い切り振り回す。状況に合わせた打撃、というのはない。打っても守っても走る場面は、アトレティックな感じはしない。”セコい”プレーは一切なし。ピッチャーは速いテンポで、いろんな球種をただ思い切り投げている。アメリカの人が見たいプレーというのは、強靭で、シンプルで、勇敢。ボールを当てられたら、必ずやり返す。ぶつけられた側のチームのピッチャーが、まだ1球も投げていないのに審判から警告を受けていた。アンフェアプレーには1点失う、とか即退場で1人減らして8人でプレー続行、といった、よくあるペナルティー式のルールにしたほうが健常的なのでは。

2009年8月3日月曜日

クルマ、クルマ、クルマ。

一般人にとって、身近に最先端のテクノロジーを感じられるのは、自分の車くらいではないだろうか。異文化の人たちが、何世代にわたって競い合っている「科学技術」の世界、その深い歴史には大変な情熱を感じさせられるし、その魅力には、誰もが瞬く間にはまってしまう。情熱に心を動かされている人には、環境汚染や、浪費などマイナスの要素は、その内に秘めたエネルギーによって、どこかに吹っ飛んで行ってしまっていたはずだ。

それが現在、人は環境汚染問題を逆手にとって、最先端の技術を表現すべく、「環境にやさしいクルマ」というキャッチフレーズで、新たな情熱のエネルギーに変えることを思い付いた。車の存在自体が、環境にやさしいはずはないのは、もうずっと、何十年も脳裏にあった、というか脳表まで染みついていたことなのに、人はその最新哲学の車に魅了され、乗っていれば、自然に緑が育つのだ、というひどい錯覚を起こし、未来の環境社会に向けて、一歩前進した感覚になる。

それは、まさしく「いい夢」を追っているにすぎないのであるが、その反面、そういう夢がそんなに身近にあり、気軽に自分の手の内に収まるというのは、なんて簡潔な、幸福への道ではないだろうか。

人はいい夢を追い続け、酔い、そんな夢のために繰り返し浪費し、一生を費やす。

自動車ビジネス業に頼りきっている世界の各国で、その新たなオーナー獲得作戦、名目ではCO2削減の環境対策で、古いクルマを、新しいのに買いかえさせる補助金制度を決めた。大きなCO2の削減になるかどうかは、よくわからないが、とにかく世界経済の活性化は間違いなく、自分にとっては、夢のような車が、20パーセント引きのバーゲンとなって、手を伸ばせば届くところにやってきてしまった。

CO2削減の被害車の我が「日産サニー」 、僕を長い間、どこの誰よりもずっと身近に支えてくれ、大きな希望をずっと、今、ここまで確実に運んできてくれた、何より激動の年月を共に刻んでくれた、忠実なクルマ、と決別する日が近づいてきてしまった。

11年間、150,000キロメートル。3カ国のナンバープレートを所得した。踏み入れた国は、オーストリア、ドイツ、ハンガリー、イタリア、スロヴァキア、ルーマニア、スペイン、フランス、ポルトガルの9つの国。

都市でいえばウイーン、サルツブルグ、リンツ、クラーゲンフルト、アイゼンシュタット、ブラティスラヴァ、ブダペスト、オラデア、インスブルック、ボルツァーノ、メラノ、ヴェロナ、ヴェネチア、ミュンヘン、ケルン、カイザースラウテルン、デュッセルドルフ、パリ、ボルドー、ポルト、リスボン、セヴィリャ、エヴォラ、コインブラ、ラ・コルーニャ。もちろん主要都市ばかりで、全然書き足りない。この日産サニーなしで、ここまで頻繁に行動できたかどうか、全く想像できない。どれだけのたくさんの思い出と、仕事への情熱が詰まっているか、計り知れない。

思い起こせば、かつて、自分と同じくらいの年齢の、フォルクスヴァ―ゲンに乗っていた人間にとっては、4年落ちの日産サニーは、夢のような機械だった。いろいろな電動ボタンが付いていて、ハンドルを握れば、まさに「コックピット」に自分がいる感覚になった。フォルクスヴァ―ゲンでは、ほぼすべて「手動」だったのだから。モーターの冷却器が、「風式」でなく「水式」であることも、期待通りの進化だった。

その夢のような機械は、同時に、自分の将来への希望を詰め込んだ乗り物だった。

今、新たな段落を迎えようとしている時期に、間もなくやってくるC4には、僕たちの明るい希望をしっかり乗せたいと思う。

「電動」は進化して、さまざまなところが「自動」になった。なぜワイパーや、ヘッドライトが自動で働いてくれるのだろうか。駐車の際は、勝手に警告してくれるので、周りの車にぶつける心配がない。かつて、駐車行為は運転技術のレベルを誇示する、いい機会ではなかったか。高速では右足を硬直させ続けなくても、希望の速度でずっと一定に走ってくれる。携帯電話は車内の5つのスピーカーに空間接続され大音量で再生してくれるので、着信すれば、何の動作もなしに、勝手にしゃべればいいだけになった。クラクションはなぜ2種類もあるのだろうか。

走りは静かで、快速で、アスファルトの上に4輪を転がしている感覚がない。ディーゼルで、燃費も排気量も少なく、今現在の最先端の科学技術に接しているようで、本当に心から魅了されてしまった。

C4のファンになって、都市間を移動するだけではなく、走行時間中に、最新技術をいつどこで確実に使えこなせるか、に興味が移ってしまった。雨も降ってほしいし、駐車もしてみたいし、ディーセル給油して得した気分になってみたい。とにかく、クルマに乗らないと使えないわけで、しばらくは乗車を避けて歩く、ということにはならなそう。

本当のCO2削減対策は、人が狭い行動範囲で、いい生活ができる社会を作ることだから、クルマに関しては、美しく、低コストで長持ちしそうなものを選んで、エコ運転などは考えず、快適にしっかり走るべき、と思う。160キロしか走れない電気自動車には、今のところ全然興味がわかない。