2009年11月25日水曜日

モンテモールでのコンサート

先週末はアレンテージョ州のモンテモール・オ・ノーヴォ、または新モンテモール、というところでオーケストラのコンサートだった。19世紀そのままのようながたがたの石畳の道が続く静かな町だが、800人収容のホールには8割方集まった。クルヴォ・セメードホールは20世紀初めに建てられたもので、音響も素晴らしく是非こういう企画を末長く続けてもらいたいもの。

ジナジオ・オーケストラは今回もいい演奏をした。いつも思うが、ヨーロッパ水準の質を持っていると思う。本番では個々のアドレナリンが働くのか特に見違えるような響きになる。彼らは正真正銘のプロの音楽家で、このオーケストラにはよく言われる務めを果たすべき役人のような演奏者はいない。練習から本番まで、今回も順調に進んでくれた。歌手たちも素晴らしく、当地の合唱団サン・ドミンゴスもよく歌ってくれた。

曲目はハイドンからマスネーまでの数々のオペラの名曲アリアの色彩豊かなもので、2つウィーンのオペレッタの曲が入った。一つはヨハン・シュトラウス、「こうもり」からアデーレのアリア、もうひとつはレハールのメリー・ウィドウからのデュエット「唇は黙し」。

フランツ・レハールは20世紀を代表する作曲家のひとりでははないだろうか。生前ナチスに好まれた作曲家ということもあり、戦後はあまり注目されなくなったひと時代前の音楽という感が強い。初期の「メリー・ウィドウ」も素晴らしいが、ウィンナオペレッタの最後の作品といわれるオペレッタ「ジュディッタ」。なんてすばらしい音楽だろうか。豊かなハーモニー、心から湧き上がるようなメロディー。オーケストレーションはプッチーニのように厚い響き、個々の楽器を際出せるような繊細さも合わせて持っている。そして出身地であるハンガリー音楽の要素を決して失わない。

レハールの作品は音楽家の腕を磨いてくれる。どのように歌うのか。ルバートの場所、どの音にアクセントをつけるか、和声はどこに向かうのか。全て楽譜に明確に書かれている。すべて理解し、心から歌わないと未熟さをさらけ出すことになってしまう。

豊かな自然に囲まれたアレンテージョ。闘牛の牛も近くで育てられているような田舎でのウィンナオペレッタの名曲はどのように響いたのであろうか。

2009年11月17日火曜日

ウィーンの市電

長い間を過ごしたウィーンの回想。時々、今でもフラッシュバックのように思い出すことがある。必ずしも悲しい出来事や暗い話ばかりではなかったが、なにしろ青少年時代からずっと、16から31歳までを過ごした土地である。本当に様々な体験をした。

異常な出来事。ウィーンで生活したことのある人なら誰でも、人種、国籍関係なく信じられない言動や行動に遭遇する。運が悪い日には身の上に起こる。普通に、何気なく、毎日ではないが、日常的に起こる。

それは今、3000キロメートル離れた地で生活していて特に「おかしい」と思える。しかしウィーンでは当たり前に、普通に起こっていた。政治レベルだけでなく、そぐそこの、身近なところで。

去年の話だったか、ちょっとしたウィーンの市電車内での出来事を収録されたヴィデオがYOUTUBEに投稿されニュースになった。実際目撃したわけではないが、よくありそうな話で興味深かった。

環状道路に沿って長年走ってきた市電、1番だったか、が廃止になり、その最後の走行を記念に携帯ヴィデオで収めた人が多々いた。その市電の40歳手前の車掌、普段は「扉が閉まりますZUG FAEHRT AB!」を告げる役目の人間が何を思ったか、満員のお客さんに車内放送でスピーチを始めた。ただその独断であろう行為でさえ本当は信じられないことだ。スピーチそのものは軽いノリながら、その市電路線の長い歴史を語るもので、雰囲気作りを思えばまだよかった。

しかしその車掌はそのスピーチを「SIEG HEIL!」で締めたのである。しかもそれに拍手するお客さんが多数いた。それに「抗議」している年配のお客さんが2,3人いて、その人に対して車掌は「冗談で言っただけです」と弁明していた。

SIEG HEIL??

それはウィーンでは普通、許容範囲の悪ノリだった。ただヴィデオに撮られ「大きくニュースになった」ので、その車掌は解雇された。

ウィーンは違う WIEN IST ANDERS?30万人もの精神異常者が存在するといわれる。

2009年11月13日金曜日

「飛鳥」II

以前のブログで「飛鳥」レストランのことを書いたが、実は「飛鳥」チェーン店がリスボン市内に何か所かに存在する。「オエイラス・パーク」にそのひとつがある。「オエイラス・パーク」は最近ヨーロッパのどこにでもあるような巨大なショッピングセンターで、レストランもファーストフードチェーン店を中心に20件ほど並んである。要するに大衆が気軽に低価格で素早く食事できるのがポイントであり、そこにオリジナルの日本食レストランを置くのは革新的なことだと思うが、「飛鳥」ではチャーハン、焼きそばを中心にメニュー5-7ユーロ程度で出していて、人も結構列になって並んでいる。ここでも「飛鳥」本店同様、欧州風のアレンジはない。そこにはカレーライスやカツカレーも置いてある。ルーの辛さはかなり控えめで、具はニンジン一本だけだが、味や色はまさに日本風のカレーでこれがなかなかおいしく食べられる。その場でカツを揚げてもらえるカツカレーのほうがお勧め。ご飯もしっかりついていて、みそ汁、ドリンク付きで7,5ユーロはかなりいい値段ではないだろうか。

2009年11月4日水曜日

予防接種証明書

エヴォラ大学の仕事の契約書がまだ届いていない。話をききにいくと、とにかく遅れているのだという。国立機関の就職に必要な書類の一つに「予防接種証明書」がある。インフルエンザの接種ではなくて、いわゆる日本でも幼年時に受けているものだが、こちらポルトガルにはそれが記載されたカードが存在する。日本やオーストリアでも犬の場合は狂犬病の予防接種の証明書は存在するのだろうが、人間にはない。腕の注射の痕を見せれば済むのだが、提出すべき書類ではないので通用しない。結局近日中に病院に接種を受けに行くことにした。この時期、A型ウイルスが氾濫している病院に行くのは全くタイミングが悪いのだが、契約に必要だというのだから仕方がない。聞くところによると、学生も予防接種は義務付けられいるという。日本人、というか外国人留学生もわざわざカードの発行のためだけに注射を受けに行っているのだろうか。

2009年10月28日水曜日

レストラン「飛鳥」

昨日はリスボン、ポンバル広場からクルマで2分のところにある日本食レストラン「飛鳥」に行ってきた。行く目的は当店のラーメン。改めて思ったが、ヨーロッパでまじめに日本で食べるようなメニューを出している店は本当に少ない。

普通ラーメンといってインスタントのめんや、食べて悲しくなるようなスープを出すところや、中華レストランで出るような、ただスープにめんが入っているだけの「ヌードル・スープ」に遭遇すること多々あるものだが、ここ「飛鳥」ではスープもまさに特製で、変なくせもなく洗練されている。メニューには7,8種類のヴァリエーションがあり、どれも麺とのバランスも最高に良し。めんは生めん。

今回注文したのは「味噌ラーメン」で、薬味にやわらかいメンマや焼き豚薄切り3枚、もやし、ねぎもごまも乗ってでてきて、満足。味や量に物足りないところはなし。かまぼこはないが、なくていい。ぜいたくを無理して言えば、麺はずいぶん絡まったまま出てきて、適量をつまみだすのはなかなか難しく、そこらへんの配慮はない。普通そういうときはめんをスープの中で泳がせれば済むのだが、ここではそういう余裕がないくらいぎっしり混雑している。めんの質がつるつるしていなく、すべらないのも混雑の原因だが、ここヨーロッパではめんをすべらして食べることはしない(ほうがいい)ので、評価の対象にならず。焼き豚は特においしい。食器はプラスティックだが、デザインも好感が持てるもので全く気にならない。量もしっかりあってそれで8ユーロ。スープも最後までしっかりいただいた。

インチキものを出している日本人経営のレストランがあるところもあれば、ここ「飛鳥」はポルトガル人シェフの経営。客席から見える調理場にも日本人らしき料理人は見当たらなかった。間違いなく日本でしっかり修行してきた人で、こちらでもヨーロッパ人用の変なアレンジなしに、おそらく日本で仕事されてきたときのレシピのままで続けられている。一時期、麺の質が落ちたときがあったが、昨日は改善されていて、歯ごたえのある素晴らしい生めんだった。このシェフ、もしかしておそろしいくらい仕事しているのではないだろうか。

それでも一つだけ、変なアレンジがあった。デザートに当店自家製の小倉アイス、抹茶アイスがあるのはいいのだが、小倉にはチョコレートソース、抹茶アイスにはストロベリーソースがかかって出てきた。アイスそのものはとてもおいしいのに、こういうアレンジは失格。もったいない。

日本で深夜すぎに食べるようなラーメンはこういうものかな、と思った。いや、たぶん比べものにならないくらいおいしい。久しぶりにレストランでおいしいものをいただけた。食事が恋しくて日本に帰りたい時は、ここに来れば解消する。

2009年10月14日水曜日

選挙

前の日曜日、嫁の投票につきあって会場に着くと、ふと「在ポルトガル外国人投票者用」の案内が目についた。いままで一度も選挙に参加する機会がなかったが、別に政治に関心がない人間ではない。税金をあれだけ払っていてどうして選挙権がないのか、ということを誰かに訴えたい。係の若い人に質問すると「投票できるはずです」と言うので驚いた。もしかして選挙できるのかもしれない。急に訪れたかもしれない投票の機会に心が躍った。どこのだれに投票すべきか迷う。
そこで投票に必要な住民番号を聞かれたが持ちあわせていないので、別室に導かれて調べてもらったが、身分証明証の番号から名前が出てこない。係の人がいろいろ電話で聞いたあげく、結局日本はポルトガルで選挙権を持てる国に属していない、という説明を受けた。
選挙権を持つ国はEU加盟諸国、旧ポルトガル領国、ノルウェーやスイスに限られていた。とはいえ、その国のパスポートを持たない人に選挙権を与えるのは、ほんの数年前には考えられなかったことで、わずかな希望の光がさしてきた気がした。一生選挙に参加できないと思っていたが、意外に投票できる日は近いのかもしれない。

2009年10月2日金曜日

フェスタ・ド・アヴァンテ

グローバル化された現代社会の中で賑わう「日本人初の」「日本人としてO人目」という、外国で活動している人の業績に関する表現。当本人はそういうデータは退屈でしょうがないのではないかと思うが、読んでいる人には「日本人でそこまでやって、すごいなあ」となるのかもしれない。先日天下のベルリンフィルの第一コンサートマスターに就任した樫本氏は「日本人として2人目」という。彼は生粋の日本人だが、実は生まれも育ちもヨーロッパだ。今までも国際的な活躍をされてきたが、さて彼自身「日本人」の枠に入っているという意識はあるのか、疑問なところ。日本のサッカー選手がイタリアでゴールを決めれば、「日本人としてO人目」となり、アメリカでホームランを打てば、「日本人第O号」となる。イチローの退場は日本人では7年振りらしい。あげくの果てには、日本語もろくに話さないドイツの著名音楽家家系のハーフのヴァイオリニスト、トモ・ケラー氏までが「日系人として初のウイーンフィル楽員」などと書かれる。「OO氏以来何年ぶり」のノーベル賞受賞の「日本人」教授は、アメリカ在住数十年のアメリカ国籍所持者。フランス・シトロエン社には、「日本人で唯一」のカー・デザイナーがいるそうだ。

去る9月4日の、毎年数十万人の観衆を集める第33回フェスタ・ド・アヴァンテでは、史上初めて「日本人アーティスト」が舞台に立ったはず。舞台上では、90人のオーケストラにも、70名の合唱団にも30人のスタッフの中でも唯一の日本人。野外の2,3万の観衆の中に、どれだけ日本人がいたのかわからないが、この同国共産党主催の「フェスタ・ド・アヴァンテ」の性格上、日本人特別対象のコンサートではない。指揮者は日本人である理由はないのだし、演目に「さくら」「隅田川」が入ることもない。当然のこと、日本国大使が興味を持って来られることもなかった。今現在が16世紀だったら話は別だろうが、今回のコンサートの当事者の使命は、クラシック、オペラ音楽を幅広い聴衆層に提供するという基本的なことで、スタッフ間に間違いなく成功させなければならないというすごい緊張感があった。そのコンサートを指揮していた自分には「日本人である」という意識は全く、どこかに吹っ飛んでいた。そういう雑念に惑わされずに仕事できたことは、当然のことながら、正直うれしい。

長年フェスタ・ド・アヴァンテの主催者であり、ジャーナリストで政治家であられるルーベン・デ・カルヴァーリョ氏が先日、ポルトガルの週刊高級紙「エスプレッソ」に当コンサートについての記事を書いた。メディア、各新聞社がこのコンサートのことに全く触れていないのは極めて遺憾であるとし、この大規模な「ポルトガル人」の企画による演奏会にもっと目を向けるべき、とあった。そこには僕の名が「日本人指揮者」として紹介されてあった。カルヴァーリョ氏からはとてもいい言葉を頂いていて、新聞上にわざわざ名を出していただいたことには、非常に感謝している。

今までの自身の経歴で「日本人初」をあげたらきりがない。リスボン、サオ・カルロス劇場の専属の仕事は疑いなく日本人初、ドイツのプファルツ劇場での指揮、そのいくつかの引っ越し公演の指揮は、日本人で初めてだったかもしれない。さかのぼれば、そもそもウイーン音楽大学の修士学位は何人の日本人が取得しているのだろうか。あれだけの数の日本人留学生がいるウイーンの指揮科も、ゲスト研修生がほとんどなので、正規の学生は自身の5年在籍に重なった2人、過去にも数えるくらいしかいなかったはずだ。南米の指揮コンクールには入賞者はおろか、参加者の中にも日系人を除く日本人は今までいなかった。

世界には「日本人」として貴重な貢献をされている人たちもいることは忘れてはいけないと思う。だが、誰もが自分の意志で、どこででも生活できるようになったこの世の中、もう外国での「日本人枠」を取ってしまってもいいのではないだろうか。この「日本人枠」に限れば、外国で日本人がいないところで仕事すればあっという間に「日本初」がいっぱいでてくる。自分にとっては「日本枠」が存在しなくなり、内容そのものにもっと目を向けてもらう日がいつか来たら、と切望してやまない。