2009年10月28日水曜日

レストラン「飛鳥」

昨日はリスボン、ポンバル広場からクルマで2分のところにある日本食レストラン「飛鳥」に行ってきた。行く目的は当店のラーメン。改めて思ったが、ヨーロッパでまじめに日本で食べるようなメニューを出している店は本当に少ない。

普通ラーメンといってインスタントのめんや、食べて悲しくなるようなスープを出すところや、中華レストランで出るような、ただスープにめんが入っているだけの「ヌードル・スープ」に遭遇すること多々あるものだが、ここ「飛鳥」ではスープもまさに特製で、変なくせもなく洗練されている。メニューには7,8種類のヴァリエーションがあり、どれも麺とのバランスも最高に良し。めんは生めん。

今回注文したのは「味噌ラーメン」で、薬味にやわらかいメンマや焼き豚薄切り3枚、もやし、ねぎもごまも乗ってでてきて、満足。味や量に物足りないところはなし。かまぼこはないが、なくていい。ぜいたくを無理して言えば、麺はずいぶん絡まったまま出てきて、適量をつまみだすのはなかなか難しく、そこらへんの配慮はない。普通そういうときはめんをスープの中で泳がせれば済むのだが、ここではそういう余裕がないくらいぎっしり混雑している。めんの質がつるつるしていなく、すべらないのも混雑の原因だが、ここヨーロッパではめんをすべらして食べることはしない(ほうがいい)ので、評価の対象にならず。焼き豚は特においしい。食器はプラスティックだが、デザインも好感が持てるもので全く気にならない。量もしっかりあってそれで8ユーロ。スープも最後までしっかりいただいた。

インチキものを出している日本人経営のレストランがあるところもあれば、ここ「飛鳥」はポルトガル人シェフの経営。客席から見える調理場にも日本人らしき料理人は見当たらなかった。間違いなく日本でしっかり修行してきた人で、こちらでもヨーロッパ人用の変なアレンジなしに、おそらく日本で仕事されてきたときのレシピのままで続けられている。一時期、麺の質が落ちたときがあったが、昨日は改善されていて、歯ごたえのある素晴らしい生めんだった。このシェフ、もしかしておそろしいくらい仕事しているのではないだろうか。

それでも一つだけ、変なアレンジがあった。デザートに当店自家製の小倉アイス、抹茶アイスがあるのはいいのだが、小倉にはチョコレートソース、抹茶アイスにはストロベリーソースがかかって出てきた。アイスそのものはとてもおいしいのに、こういうアレンジは失格。もったいない。

日本で深夜すぎに食べるようなラーメンはこういうものかな、と思った。いや、たぶん比べものにならないくらいおいしい。久しぶりにレストランでおいしいものをいただけた。食事が恋しくて日本に帰りたい時は、ここに来れば解消する。

2009年10月14日水曜日

選挙

前の日曜日、嫁の投票につきあって会場に着くと、ふと「在ポルトガル外国人投票者用」の案内が目についた。いままで一度も選挙に参加する機会がなかったが、別に政治に関心がない人間ではない。税金をあれだけ払っていてどうして選挙権がないのか、ということを誰かに訴えたい。係の若い人に質問すると「投票できるはずです」と言うので驚いた。もしかして選挙できるのかもしれない。急に訪れたかもしれない投票の機会に心が躍った。どこのだれに投票すべきか迷う。
そこで投票に必要な住民番号を聞かれたが持ちあわせていないので、別室に導かれて調べてもらったが、身分証明証の番号から名前が出てこない。係の人がいろいろ電話で聞いたあげく、結局日本はポルトガルで選挙権を持てる国に属していない、という説明を受けた。
選挙権を持つ国はEU加盟諸国、旧ポルトガル領国、ノルウェーやスイスに限られていた。とはいえ、その国のパスポートを持たない人に選挙権を与えるのは、ほんの数年前には考えられなかったことで、わずかな希望の光がさしてきた気がした。一生選挙に参加できないと思っていたが、意外に投票できる日は近いのかもしれない。

2009年10月2日金曜日

フェスタ・ド・アヴァンテ

グローバル化された現代社会の中で賑わう「日本人初の」「日本人としてO人目」という、外国で活動している人の業績に関する表現。当本人はそういうデータは退屈でしょうがないのではないかと思うが、読んでいる人には「日本人でそこまでやって、すごいなあ」となるのかもしれない。先日天下のベルリンフィルの第一コンサートマスターに就任した樫本氏は「日本人として2人目」という。彼は生粋の日本人だが、実は生まれも育ちもヨーロッパだ。今までも国際的な活躍をされてきたが、さて彼自身「日本人」の枠に入っているという意識はあるのか、疑問なところ。日本のサッカー選手がイタリアでゴールを決めれば、「日本人としてO人目」となり、アメリカでホームランを打てば、「日本人第O号」となる。イチローの退場は日本人では7年振りらしい。あげくの果てには、日本語もろくに話さないドイツの著名音楽家家系のハーフのヴァイオリニスト、トモ・ケラー氏までが「日系人として初のウイーンフィル楽員」などと書かれる。「OO氏以来何年ぶり」のノーベル賞受賞の「日本人」教授は、アメリカ在住数十年のアメリカ国籍所持者。フランス・シトロエン社には、「日本人で唯一」のカー・デザイナーがいるそうだ。

去る9月4日の、毎年数十万人の観衆を集める第33回フェスタ・ド・アヴァンテでは、史上初めて「日本人アーティスト」が舞台に立ったはず。舞台上では、90人のオーケストラにも、70名の合唱団にも30人のスタッフの中でも唯一の日本人。野外の2,3万の観衆の中に、どれだけ日本人がいたのかわからないが、この同国共産党主催の「フェスタ・ド・アヴァンテ」の性格上、日本人特別対象のコンサートではない。指揮者は日本人である理由はないのだし、演目に「さくら」「隅田川」が入ることもない。当然のこと、日本国大使が興味を持って来られることもなかった。今現在が16世紀だったら話は別だろうが、今回のコンサートの当事者の使命は、クラシック、オペラ音楽を幅広い聴衆層に提供するという基本的なことで、スタッフ間に間違いなく成功させなければならないというすごい緊張感があった。そのコンサートを指揮していた自分には「日本人である」という意識は全く、どこかに吹っ飛んでいた。そういう雑念に惑わされずに仕事できたことは、当然のことながら、正直うれしい。

長年フェスタ・ド・アヴァンテの主催者であり、ジャーナリストで政治家であられるルーベン・デ・カルヴァーリョ氏が先日、ポルトガルの週刊高級紙「エスプレッソ」に当コンサートについての記事を書いた。メディア、各新聞社がこのコンサートのことに全く触れていないのは極めて遺憾であるとし、この大規模な「ポルトガル人」の企画による演奏会にもっと目を向けるべき、とあった。そこには僕の名が「日本人指揮者」として紹介されてあった。カルヴァーリョ氏からはとてもいい言葉を頂いていて、新聞上にわざわざ名を出していただいたことには、非常に感謝している。

今までの自身の経歴で「日本人初」をあげたらきりがない。リスボン、サオ・カルロス劇場の専属の仕事は疑いなく日本人初、ドイツのプファルツ劇場での指揮、そのいくつかの引っ越し公演の指揮は、日本人で初めてだったかもしれない。さかのぼれば、そもそもウイーン音楽大学の修士学位は何人の日本人が取得しているのだろうか。あれだけの数の日本人留学生がいるウイーンの指揮科も、ゲスト研修生がほとんどなので、正規の学生は自身の5年在籍に重なった2人、過去にも数えるくらいしかいなかったはずだ。南米の指揮コンクールには入賞者はおろか、参加者の中にも日系人を除く日本人は今までいなかった。

世界には「日本人」として貴重な貢献をされている人たちもいることは忘れてはいけないと思う。だが、誰もが自分の意志で、どこででも生活できるようになったこの世の中、もう外国での「日本人枠」を取ってしまってもいいのではないだろうか。この「日本人枠」に限れば、外国で日本人がいないところで仕事すればあっという間に「日本初」がいっぱいでてくる。自分にとっては「日本枠」が存在しなくなり、内容そのものにもっと目を向けてもらう日がいつか来たら、と切望してやまない。




2009年9月23日水曜日

Castella do Paulo

リスボン市内、コメルシオ広場から歩いてすぐのところに、20席ほどの規模の「パウロのカステラ」がある。長崎の老舗カステラ店で修業されたという、パウロ・ドゥアルテという名のシェフが経営されているカフェだ。店のあちこちに、日本人の奥様の筆跡と思われる文字が書かれていて、置いている品は、間違いなくリスボン唯一のもの。長崎カステラに始まり、あんぱん、メロンパン、クリームパン、カレーパンなど日本ではよく見かける菓子パン類が1ユーロ前後と手ごろな値段で売られている。メニューには印刷されたポルトガル語のほか、手書きで日本語と英語が加えられている。そこには案内文として、ご夫婦ともども、ポルトガル語と日本語で、彼らのお菓子作りへの思いが綴られている。店の装飾や雰囲気からも、この経営者の真摯な情熱と仕事への愛情が伝わってくる。味のほうも、まさに手作りといった、アットホームなもので、非常に好感度が高い。昼食時にはランチメニューも出しているようなので、今度行ってみるつもりだ。5つ星。

2009年9月12日土曜日

NOVO BONSAI

昨晩、リスボン市内にある日本料理レストラン「NOVO・BONSAI」にて、かなり残念な体験をした。5,6年前から何度か行ったことのある店で、経営者御夫婦も顔見知り程度で、面識ある。とにかくサービス、料理のレベルの割には値段の高い店だが、20席ほどの狭い店は満員状態。ヨーロッパの根強いスシブームに乗せてもらっているのでしょう。

スタッフは姿の見えぬ料理人1人+カウンターのすし職人1人+ウエイター2人の全員日本人なので、そこそこ安心できそうな錯覚があるが、実は数年前、10ユーロの昼食メニューにうどんと称して、安物のきしめんが出てきたので敬遠してきた。

昨日はその悪い印象が、見事に証明された。もう2度と行くまい。

今回は、まだ日本食を食べたことがないという、年配の友人家族(ポルトガル人)4人が一緒だったので、僕がすべてメニューを決めることになった。とりあえず「お勧め品」の枝豆を、早速注文する。いまだに夏の暑い日だったし、冷ややっこも、と思ったが、7ユーロとある。そこで学生アルバイト風のウエイトレスさんに質問。「この値段ですが、大きさは?」「ほんのちょっとです」早口で、いかにも日本人とは接したくなさそうな、ヨーロッパではよく見かける日本人の女の子。「中華スーパーでは1ユーロもしないじゃないですか」と不遜ながら愚痴ると、「そういうのは生で食べられません。とうふはこちらで作っているものなので」。ということなので、3皿注文。なるほど、「自家製」というだけあって、かなり柔らかなおいしいお豆腐、その上には3cmの幅もありそうな立派な鰹節がたっぷりのっている。でもそれだけ。ネギも、おろし生姜もなし。

その他、前菜にはナスの味噌田楽も頼んで、これはサイズも大きく、なかなかおいしかった。ただ、スプーンと小さいフォークがしっかりと味噌だれに浸かってしまっていて、使う両手も必然的に油でギトギトになる。そこは手前のおしぼりで解決。

しかしこの時点で飲み物がまだ到着していない。せっかくの枝豆も、ビールが出てきたときにはもう食べ終わってしまっていた。

さてメインには、本当は70近い友人にぜひしゃぶしゃぶを食べてもらいたかったのだが、33ユーロとある。そこで例のアルバイトさんに聞く。「しゃぶしゃぶはどんな感じですか」「鍋物で、ご自分でテーブルで調理していただきます」。自分は大阪人なので、しゃぶしゃぶ料理の説明は受ける必要ない。「しゃぶしゃぶは分かるんですけど、どんな感じで出てくるのですか」「普通、初めての方にはお勧めしません」と続けられるので、「なぜですか」と返すと、「好きじゃないようです。でも食べたいんなら、注文してください」。と、ほら、ほら、とジェスチャー付きで言われてしまった。小声でかなりルーズな話しぶりは、この料亭並みの値段には相応しくない。

そこで隣のテーブルで娘さん家族と、お客さんに化けて食事されている、オーナーご夫妻に話しかけることにした。同じ質問をする。「先生、しゃぶしゃぶはどんな感じですか。」「えっ」「たれは何ですか。ごまだれですか。」「はい。ごまだれと、ポン酢と二つ付きます」。ドイツ人とのハーフの娘さんが、代わりに答えてくれる。「でもしゃぶしゃぶ用の肉は使っていないですよ」といわれるので、そこで一番気になっていたことを聞く。「肉は何グラムありますか」。これにはオーナーご夫婦、娘さん、ウエイトレスさん誰も答えられなかった。33ユーロで、100グラムだったらどうしよう?というのが頭にあったので、どうしても聞かないといけなかった。みな沈黙したので、失礼だったかなと思ったが、あとで嫁に聞いても、当然な質問だと言ってくれた。オーナーが「しゃぶしゃぶは食べてみたらわかる」と言ってくれたのだが、頼まないことにした。

結局定番のてんぷら、とんかつ、お寿司と無難な線で済ませることに。とんかつは、ウインナーシュニッツェル並みに薄く、大きさは手のひらサイズ。千切りキャベツと、一切のトマト、あと大さじ1のウスターソースがついてくる。味は、いたって普通で、ごはんもみそ汁もつかず、これで13ユーロ。

てんぷらは、エビ1尾、白身の魚、ナス、カボチャ、サツマイモ1切ずつ、インゲン豆1本。たれには大根おろしが付いてこず、当然ごはんもこない。これでまた13ユーロ。てんぷらの衣は分厚く、どちらかと言うと中華料理の衣のよう。これをてんぷらと名付けていいのだろうか。

ちらしずしは、サーモン4切れ、マグロ4切れ、超薄切り厚焼き卵2切れ、スズキ薄切り2切れ、タイ薄切り2切れ。とび子少々。これで16ユーロ。これで1人前では大人には全然さびしい。

あと「お勧め品」の一つ、タコ焼きも頼んだ。冷凍品かな、と思ったが、これも自家製らしい。6個付き、この店自慢の鰹節がしっかりかかっているが、青ノリはない。タコはほぼみじん切りになっていて、生地はホットケーキのよう。ネギもなし。あの山芋入りの、口にとろける大阪のたこ焼きとは別物だった。

友人たちはそれでもまあまあ満足していた。

思えば、ウイーンの日本料理店はどれもレベルが高かった。Krügerstr. の天満屋では、日本の料亭に劣らない繊細な料理が出る。値段はNOVO・BONSAI並み。ANAホテルの雲海は高かったが、品格があって接待によくつかわれた。ナッシュマルクトの「小次郎」では、今まで一番おいしいお寿司をいただいたと今も思っている。冗談みたいな超大盛りのチラシを出していただいたことには、本当に感謝している。

NOVO・BONSAIは量も少なく、材料も鰹節以外は乏しく、サービスも小さい店の割には遅く、悪い。味はそこそこだが、正直言って家で自分で作ったほうがおいしいと思った。日本食はブランドになっていて、おしゃれで通う人もいるから、それでも店に来てくれるひとがいるかもしれない。でも、日本人が来て、がっかりするようなサービスをする日本料理店はいただけないと思う。リスボンの別の日本料理+お寿司屋さん「とも」も同じように、信じられないサービスをする。この店も、NOVO・BONSAIも、申し訳ないがもう2度と行きたくない。


2009年8月18日火曜日

べースボール

テレビ&インターネットの契約会社を変えたので、テレビのチャンネルが110に増えた。スポーツ番組を生中継しているアメリカのチャンネルを見つけて、昨日生まれてはじめて、大リーグの生中継を見た。野球そのものを見るのも、本当に久しぶりだった。選手はみな超大型で、どのバッターも、とにかくバットを思い切り振り回す。状況に合わせた打撃、というのはない。打っても守っても走る場面は、アトレティックな感じはしない。”セコい”プレーは一切なし。ピッチャーは速いテンポで、いろんな球種をただ思い切り投げている。アメリカの人が見たいプレーというのは、強靭で、シンプルで、勇敢。ボールを当てられたら、必ずやり返す。ぶつけられた側のチームのピッチャーが、まだ1球も投げていないのに審判から警告を受けていた。アンフェアプレーには1点失う、とか即退場で1人減らして8人でプレー続行、といった、よくあるペナルティー式のルールにしたほうが健常的なのでは。

2009年8月3日月曜日

クルマ、クルマ、クルマ。

一般人にとって、身近に最先端のテクノロジーを感じられるのは、自分の車くらいではないだろうか。異文化の人たちが、何世代にわたって競い合っている「科学技術」の世界、その深い歴史には大変な情熱を感じさせられるし、その魅力には、誰もが瞬く間にはまってしまう。情熱に心を動かされている人には、環境汚染や、浪費などマイナスの要素は、その内に秘めたエネルギーによって、どこかに吹っ飛んで行ってしまっていたはずだ。

それが現在、人は環境汚染問題を逆手にとって、最先端の技術を表現すべく、「環境にやさしいクルマ」というキャッチフレーズで、新たな情熱のエネルギーに変えることを思い付いた。車の存在自体が、環境にやさしいはずはないのは、もうずっと、何十年も脳裏にあった、というか脳表まで染みついていたことなのに、人はその最新哲学の車に魅了され、乗っていれば、自然に緑が育つのだ、というひどい錯覚を起こし、未来の環境社会に向けて、一歩前進した感覚になる。

それは、まさしく「いい夢」を追っているにすぎないのであるが、その反面、そういう夢がそんなに身近にあり、気軽に自分の手の内に収まるというのは、なんて簡潔な、幸福への道ではないだろうか。

人はいい夢を追い続け、酔い、そんな夢のために繰り返し浪費し、一生を費やす。

自動車ビジネス業に頼りきっている世界の各国で、その新たなオーナー獲得作戦、名目ではCO2削減の環境対策で、古いクルマを、新しいのに買いかえさせる補助金制度を決めた。大きなCO2の削減になるかどうかは、よくわからないが、とにかく世界経済の活性化は間違いなく、自分にとっては、夢のような車が、20パーセント引きのバーゲンとなって、手を伸ばせば届くところにやってきてしまった。

CO2削減の被害車の我が「日産サニー」 、僕を長い間、どこの誰よりもずっと身近に支えてくれ、大きな希望をずっと、今、ここまで確実に運んできてくれた、何より激動の年月を共に刻んでくれた、忠実なクルマ、と決別する日が近づいてきてしまった。

11年間、150,000キロメートル。3カ国のナンバープレートを所得した。踏み入れた国は、オーストリア、ドイツ、ハンガリー、イタリア、スロヴァキア、ルーマニア、スペイン、フランス、ポルトガルの9つの国。

都市でいえばウイーン、サルツブルグ、リンツ、クラーゲンフルト、アイゼンシュタット、ブラティスラヴァ、ブダペスト、オラデア、インスブルック、ボルツァーノ、メラノ、ヴェロナ、ヴェネチア、ミュンヘン、ケルン、カイザースラウテルン、デュッセルドルフ、パリ、ボルドー、ポルト、リスボン、セヴィリャ、エヴォラ、コインブラ、ラ・コルーニャ。もちろん主要都市ばかりで、全然書き足りない。この日産サニーなしで、ここまで頻繁に行動できたかどうか、全く想像できない。どれだけのたくさんの思い出と、仕事への情熱が詰まっているか、計り知れない。

思い起こせば、かつて、自分と同じくらいの年齢の、フォルクスヴァ―ゲンに乗っていた人間にとっては、4年落ちの日産サニーは、夢のような機械だった。いろいろな電動ボタンが付いていて、ハンドルを握れば、まさに「コックピット」に自分がいる感覚になった。フォルクスヴァ―ゲンでは、ほぼすべて「手動」だったのだから。モーターの冷却器が、「風式」でなく「水式」であることも、期待通りの進化だった。

その夢のような機械は、同時に、自分の将来への希望を詰め込んだ乗り物だった。

今、新たな段落を迎えようとしている時期に、間もなくやってくるC4には、僕たちの明るい希望をしっかり乗せたいと思う。

「電動」は進化して、さまざまなところが「自動」になった。なぜワイパーや、ヘッドライトが自動で働いてくれるのだろうか。駐車の際は、勝手に警告してくれるので、周りの車にぶつける心配がない。かつて、駐車行為は運転技術のレベルを誇示する、いい機会ではなかったか。高速では右足を硬直させ続けなくても、希望の速度でずっと一定に走ってくれる。携帯電話は車内の5つのスピーカーに空間接続され大音量で再生してくれるので、着信すれば、何の動作もなしに、勝手にしゃべればいいだけになった。クラクションはなぜ2種類もあるのだろうか。

走りは静かで、快速で、アスファルトの上に4輪を転がしている感覚がない。ディーゼルで、燃費も排気量も少なく、今現在の最先端の科学技術に接しているようで、本当に心から魅了されてしまった。

C4のファンになって、都市間を移動するだけではなく、走行時間中に、最新技術をいつどこで確実に使えこなせるか、に興味が移ってしまった。雨も降ってほしいし、駐車もしてみたいし、ディーセル給油して得した気分になってみたい。とにかく、クルマに乗らないと使えないわけで、しばらくは乗車を避けて歩く、ということにはならなそう。

本当のCO2削減対策は、人が狭い行動範囲で、いい生活ができる社会を作ることだから、クルマに関しては、美しく、低コストで長持ちしそうなものを選んで、エコ運転などは考えず、快適にしっかり走るべき、と思う。160キロしか走れない電気自動車には、今のところ全然興味がわかない。