2014年8月1日金曜日
心(臓)の成長
TGAの患者である息子は、親にとって申し分のない健康な状態で、4歳7ヶ月を迎える。
旧学期も終わり新しい住居で、9月からは学校も変わるという、新たなサイクルが始まろうとしているようだ。
体は決して大きくないどころか、1m超えるか超えないかで、クラスの同年代のどの女の子より小さい。
体が小さいのは、決して心配事ではない。むしろ、安心しているくらいである。
親にとってさいわい、運動の方も、ボール遊びもルールを使う、他人と競うようなものは嫌いなようで、水泳も嫌い、で激しいものはしないで済んでいる。走り回るのが唯一の運動だ。
学校で見る空手はやってみたいようだが、これは柔道やほかの組み手競技と並んで、できたら一度もしてもらいたくない、避けて通ってほしい種目である。
術後の心臓の方は、恐れていた血管狭窄や大動脈弁逆流といった後遺症はなく、状態はとてもいいらしい。
いや、逆流はまったくないわけではない。元々弱い方の、肺動脈弁を体全体に血液を送り出す大動脈弁として代用して使っているので、いいわけがない。距離にして、心臓から肺までと、心臓から体全体へとどれくらいのメートルの差があるのだろう。送り出す血流の圧力のちがいと言ったら、そんな数値など、知らない方がいいかもしれない。
逆流はなし、という診断は受けたことがない。いつも微々たるもの、最小、などで、心臓の雑音もどの医者でも聞き取れるくらい、ある。
要するに、成長につれて、体が大きくなるにつれて、血流の圧力も増し、親の心配も大きくなっていくのだ。気持ちとして、息子の心臓は、人の倍の早さで年齢を重ねている、と思うというか、人に説明するときにそうやってしている。歴史が浅い、ジャテネ(発明者のジャテネ先生は現在の生きておられる方である)手術、その改訂型であるルコント手術では、成人になってからの例が、まだない。しかし、40をすぎてからは、何らかの大きめな手術が必要になってくるかもしれない。そのころには、人工の大動脈弁、一生分使えるようなもの、になっているのであろうか。西暦2050年の話しである。
息子はそういったわけで、本来よりもかなり、甘く育てられているかもしれない。親としては、生まれてすぐ、死と崖っぷちの状態になり、奇跡の手術を通って綱渡りの幼児期を過ごした、または現在進行形である息子を、特別扱いしないわけにはいかない。
しかしながら、そういう息子だからこそ、心のほう、健康に育ってもらいたいと、日々気を使っている。いつでも対話できる、親でいたい。苦しいときには、受け皿になれるような、信頼関係を持ちたい。世の中で、どこでも肘を張って生きていけるような、強い心を持った男になってほしい。
そういう息子にとって、また親にとっても、これから新たなサイクルが始まろうとしている。妹の誕生が迫っているのだ。
親にとっては、願わくば、心身体完全な、わが赤ちゃんとの生活が始まる。生後1ヶ月を病院でなく、自宅で迎えるというのは、親にとっても初めての経験になる。
正直、怖くてしょうがない。4年前の、息子の誕生に起こった悲劇と奇跡の生還、なんてことはもうこりごりである。
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