アルガルベ州とでも言うのだろうか、ポルトガルの最南に位置する地方は、ヨーロッパ大陸の最南地のひとつでもある。サグレス市の海岸線に立てば天気がいい日は海の向こう側、アフリカ大陸が肉眼で確かに見える。
向こう側は、モロッコのはずで、あの特徴的なモスクの建物の尖った部分がはっきり確認できる。アラブ人による、全くの別世界が海の向こうにあるのだ。あんなのがみえたら、それはいつか行ってみたくなるに違いない。そんな意識がポルトガル人の大航海時代につながっていったのだろうか。
時代をさかのぼると、海の向こうの別世界は実はこちら側にも普通に存在していた。イベリア半島の半分は、モーロと呼ばれる、れっきとしたイスラム教のアラブ人が何世紀というかなり長い間支配していた。その名残は現在も存分にあり、建築物だったり、アラブ語の冠詞であるalがついた地名は無数にある。algarveもしかり。イギリス人旅行者を意識してか、地名をallgarveに変えよう、という真面目な動きがあったが、歴史の事実からして、おかしい話である。
アラブ人は結局イベルア半島から追い出されたのだが、ポルトガルの歴史上では、コンキスタ、征服は勇ましい物語として残されている。アラブの世界の中で、幸福な生活していた人の多くの悲劇もあったはずだ。アルフレード・カイルのオペラ、「ドンナ・ブランカ」はたしかそういう悲劇の一つのようだ。もっとそれにまつわる悲劇を知りたい。
機会があってタヴィーラ、というアルガルベにある都市に何日か滞在した。そこも多くのイギリス人が休暇に来るところであって、ニュースでにぎわったイギリス人夫婦の幼い娘が失踪したところもこちらである。
タヴィーラは小さい町だが、しっかりとしたレストラン街がある。10以上ほどのレストランが狭い一地区に集まっている。インターネット情報を頼りに、ある30席ほどの小さいレストランに入った。
ブリーザ・ド・リオという名のレストランは、ポルトガルのよくある家庭、伝統料理をややモダンにアレンジした、旅行者でにぎわうところではよくありそうなレストランである。
幼い息子も連れていたので、19時前という早めの時間帯に入ったのでがらがらであったが、次第に満席になった。来る客は外国人も含めて常連客のようだ。
ここは自分にとって一番のレストランの一つの、イスタンブールのチヤに雰囲気が似ていた。すなわち、一流のおいしい物が食べられる正統派のレストランである。料理はアサリのカタプラーナという煮込み料理だったが、すばらしくおいしかった。
手順は簡単そうで、なかなうまくいかないのが料理だと思うが、アサリはともかく、たっぷりあったソースの中にあった豚肉は、こんなに完璧に調理されるものなのかと驚かされた。ソースは恥ずかしくなるくらい、パンですくっていただいた。味のバランスといい、料理を堪能する、とはこのことかと思わされる。
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