2012年7月6日金曜日

停滞

ポルトガルに来て仕事するようになって、早いもので既に8年になる。

しかし残念ながら、仕事に関しては全く何も、自分が以前思い描いてきたようなことが成し遂げられていない。

何が原因なのか、常に解明しようとつとめているのだが、状況は自分の感覚では何もいい方向に変わってきていない。

一人の音楽家として、謙虚に努力する姿勢はなくさないようにしようと思うし、なるべく停滞の原因は自分自身にあるとして改善してきたつもりである。

しかし、もう8年もの自分には長過ぎる年月が経ち、そろそろ原因を自分の外にある事実を意識するようになってきた。

音楽家として、たいしたキャリアを積んできた訳ではないが、それでもこれまで9つの異なる国で活動してきた。要するに、プロの音楽家としてお金をもらった国の数が、「9」になる。ちなみに指揮者として、プロのオーケストラを振った経験は、8つの国だ。日本はまだない。

今日はっきり言えることは、ポルトガルでの仕事ほど、自分という一人の小さい芸術家が軽く見られたことはなかった。初めてポルトガルに行ったのは1995年、ポルト市での国際ピアノコンクールへの参加で、2度目は2000年のフィゲイラ・ダ・フォシュ市での、故アチェル先生の指揮のマスタークラスである。
95年のポルトではピアニストして最悪の経験の一つで、2000年はルーマニアのオケであった。コンサートでも指揮したが、企画の方は全くまともに計画されておらず、アチェル氏は危ういところで全て投げ出しそうになった。観客は20人ほどであった。

同じように、2004年から始めたリスボンのオペラ劇場での仕事も、音楽家としての脚光を浴びることはいっさいなかった。2007年から始めたジナジオオペラの仕事では観客を前にスポットライトを浴びることが多くなったが、どのようないい仕事をしたつもりでも、それらが認められて新たな仕事が舞ってくることはなかった。

自分の実力不足は承知の上である。足りない部分が何かもよくわかっている。しかし、微力ながら何かを少しでも動かすことはできないのだろうか。この国では、何かのアクションを起こそうとするとまず嘲笑され、次に欠陥部分を誇張され負のイメージを売られるのが常である!

コンサートでは、フレーズをどれだけきれいに歌おうが、オーケストラがどれだけ均一の取れた響きを披露しようが、逆にいい加減に楽器をたたいていようが、いいものも、悪いものもどうやら無関心でいるようである。別にいい音楽を聴けても聴けなくてもどうでもいい、という空気が流れている。あそこの、あの部分が本当にすばらしかった、という反応は夢の世界にしかないのだろうか。

これは音楽家にとってあまりに悲しい現実ではないだろうか。確かに、ポルトガル人からはここの音楽界は貧相で、将来的に何も期待できないよ、と初めて土地を踏み入れた1995年から常に言われ続けてきたが、それを認めたくない自分があり、何とか自分の力でどうにかしたい、という自負心があった。今、ここで書いたような意見もずっと、いろいろな方面からいやというくらい聞いてきた。

そういう土地で、8年のも長い年月にわたって生活してきたのは、人生は音楽だけではない、ということにつきる。人生は家族でもあり、子供の教育、将来でもある。

自分はそれでも、これからも続けてこの国、ポルトガルで生活する。人生は皮肉なものである。

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