いつもどこかおかしいと感じているが、こういう傾向は年々ヨーロッパ中に広まり、どこの国でもそういうチームがある。
18世紀から続くサオ・カルロス劇場では今、歌手の質や演出もドイツの中小劇場とほぼ変わらないが、こういうのでいいのだろうか。ポルトガル人歌手の起用の必要性はいつも言われてきて、解雇されたダンマン元監督も必ずその話を出していたが、それだけでいいのだろうか。
新作の「フィガロの結婚」は旧東ドイツのエルフルト劇場の製作。ポルトガル人のいつもの歌手たちは出演するが、演出がドイツ産まれの「Regietheater」そのもので、例えば最初の場面ではフィガロがイケアの家具を組み立てていた。そういうものをここリスボンでわざわざ観る必要なし。